今日の時計『オメガ・シーマスター600』

OMEGA|seamaster 600

福岡県 E.N.様 ご依頼品

お盆休みも終わりまして、涼しい晩夏に仕事に身の入る今日この頃です。しかし、今年は日照不足から作物の出来が少し心配です。秋はなんといっても食欲の秋ですから。美味しいものは夏の暑さを乗り越えて味わえるような気がいたします。

余談が長くなりました。さて、今回のご依頼は写真のオメガ・シーマスター600(手巻き)です。他店でオーバーホールしたものの、調子が悪くて見切りをつけ、当工房にご依頼をいただきました。チャンスです。

ここぞとばかりに、アトリエ・ドゥの隠れたる(?)パワー全開でまいります。時計の内部は持ち主から見えない部分だけに、職人の真価が問われます。見えないからと言って手を抜く輩は、早晩この仕事で食べていけなくなります。(本来そうあるべきですが、昭和なあなあで来れてしまった修理業界もいよいよ職人の高齢化・後継者不足による淘汰の波が訪れる厳しい時代の幕開けです。)

とくに古いビンテージ品は今後ますます修理できる所はなくなっていくと思います。個人工房アトリエ・ドゥは、画期的な『ブログ掲載オプション』サービスにより、新しい時代をリードしてまいります。


オメガ シーマスター 手巻き cal.601

オメガの手巻き時計シーマスターcal.601のご依頼です。他店でオーバーホールしたものの、巻き上げ時に滑らかでなく、動作時間も24時間もたず7〜15時間位で止まり安定しないとの事。返送するも、その店の見解は「異常なし」との回答で埒があかず、あきらめて当工房に再び修理をご依頼されることに。

 

まずは分解前の測定から。振り角は全巻きで平姿勢250°前後/縦姿勢220°前後と、年式からすれば確かにオーバーホールはしてあるのかな?と思われる特性を示しております。歩度もそれほど極端には開いておらず、測定データのみでいえば問題はなさそうです。

 

さっそく分解していきます。リュウズのみをケースに差して感触を確認。この時点でひとつおかしな事に気づきました。スカスカで空転してしまいます。もう私にはどういうことか分かりました。たね明かしは後ほど。

 

文字盤(ダイアル)を拡大したところ。表面には無数にボツボツができています。これは地金の真鍮が水分や熱などに反応して酸化し、表面に飛び出てきたものです。こういうものは手の施しようがなく、そのままとなります。(やるとしたらダイアル・リダンといって、いったん表面の植字などすべて外して表面を磨いて再加工した上で、文字やインデックスを再印刷/再植字するしかありません。当工房ではリダンは受付しておりません)

 

ダイアルの裏側です。植字などは裏に足がついており、ダイアルを貫通して裏側から写真のように地金もろとも削って変形させ、一種のカシメのような理屈で取り付けしてあります。このため、植字が取れると付け直すのは容易ではありません。お客さんで「接着剤でつけてくれ」と依頼される方がよくいるのですが、そういう付け方をしてしまうと、本来の仕上がりではなくなってしまうことが分かると思います。(接着剤でつけると、後日リダンなどが出来なくなってしまいます)しかし、取れたままではどうにも格好悪いし、針の運針にも支障がありますので、こうした構造であり接着剤を使うことを十分ご納得されている場合は、最小限の量でピンポイントに接着します。今回のものは特に植字などが取れているわけではなかったのですが、表面がボツボツのものは植字の足も劣化していることが多いため、合わせてチェックを行いました。

 

ムーブメント本体を分解していきます。これは輪列受け(二番受け)を外したところ。

 

穴石に注油が十分に残っており、前回のオーバーホールからまだ年月が経っていないことが分かります。お客様の証言とも一致します。注油量は少し多いですが、まあ動作にはギリギリ問題はないといってよいでしょう。このように、前回行われた仕事ぶりは、いずれ他の職人に見られるわけです。おかしな仕事ぶりをしていれば、すぐに分かりますし、やれどこそこの仕事は雑だの何だの、業界内部ではすぐに知れ渡ります。必ずしも世間の評価と実態とは一致していないところが面白いのですが、詳しくここで述べるのは趣旨が違いますからやめておきましょう。笑

 

つづいて香箱受け(一番受け)にある丸穴車をはずしたところ。ご覧のように丸穴車とジャンパーの接触部周囲にサビがびっしりと吹き出ています。さきほどの輪列受けとは裏腹に、これはまるで何十年も手入れしていないような状況です。普通に考えると、かなり異様な取り合わせと言ってよいでしょう。端的にわかりやすく推理するなら、この部分はろくに分解もせずそのままだった可能性が高いと言えます。明らかに手抜き仕事です。前回担当した職人の人柄なんかも、その仕事ぶりを見れば分かってしまいます。

 

さらに香箱受けを外したところ。ちょうど丸穴車の裏側のようすです。写真では少し分かりにくいかも知れませんが、地板の表面が油でドボドボになって、照り光っております。ありえないほどの量の油を、雑に差したのでしょう。そういうやり方をすると、本来とどまるべき箇所からこのように油は流れていって、受けと受けの間に吸い込まれてしまいます。油として全く用をなさないばかりか、上部の丸穴車のサビに対しても効力を持たないことが分かります。

 

かわって冒頭で問題をみつけたリュウズの内側を拡大したところ。少し緑青がふいていることを除けば、一見問題ないようにも見えるかもしれませんが、内部のガスケットの状態は果たしてどうでしょうか。

 

リュウズの蓋をあけたところ、案の定ガスケットはヘドロ状に溶けてぐちゃぐちゃの状態でした。リュウズが空回りする感触で、ガスケットの状態はおそらくこのようになっていることが私にはすぐ分かったのですが、これはなかなか一般の方にはリュウズを回しただけでは分からないと思います。いざ作業の段階になってからようやく気がついたのでは遅いわけです。

 

今回は見積もりの時点ですでにリュウズが駄目になっていることが分かっていたため、パッケージ入り新品のリュウズを取り寄せして交換することにしました。

 

パーツはオメガの場合はケース番号と呼ばれる数字を元に、それに対応したパーツが決められています。必ず一つの番号に一つのパーツが対応するとは限らず、複数の候補から選ぶこともできますし、逆にパーツのほうも複数モデルに共通だったりします。今回はオリジナルに最も近いデザイン/形状のものになりました。

対応するケース番号にちゃんと合った純正パーツを取り寄せても、当時と仕様が異なっていて全く同じデザインではなくなっていることもあります。細かな点までオリジナル通りにこだわる方は、タイムマシンで過去に戻ってパーツ買ってきてください。メーカーに掛け合っても「今はもう作っていない」の一言でおしまいです。むしろオメガなんかは良心的なほうで、製造終了で何十年も前に廃盤になったモデル用の交換パーツでも、いまだに製造し続けています。国産メーカも見習って欲しいです。「採算が合わないからやらない」「法律では製造停止後8年までやればよい」だいたいこんなこと言って、責任逃れしておしまいでしょう。ロマンがないんです。

 

こちらは先の丸穴車にでていたサビをおとしているところ。前回オーバーホールから短期間のうちに生じたにしては無理のありすぎる量だったため、おそらく前回の業者はいっさいムーブメントの洗浄などせず、分解もそこそこに油だけを古い機械に差し直しただけでハイおしまい!だったのでしょう。それで立派に金だけは取る。そんな実態が露見してしまいます。(ところで、となりに見える太い木の棒はつまようじを削ったもの。こういうサイズ感。)

 

サビを落としてピカピカに磨きあげられた丸穴車とジャンパー。これで、リュウズを巻き上げるときの感触も、まるで別物のように改善されたと思われます。

 

ようやく全てのパーツの分解と洗浄が完了しました。古いビンテージ・モデルは、ここまで来るのに時間と手間がかかります。

 

こちらはテンプ(バランス)を裏から見たところ。テンワの片方にずいぶん穴があけられております。おそらく過去(前回業者の仕事レベルではこういう高度な技を駆使する修理はできっこない)に天真でも交換してリバランス調整したものと思われます。つまり、前々回かそれよりもっと前。ここまで来ると推理も考古学並みでしょう?笑 いろんなことが分かるし、見えてきます。

 

香箱の内部も案の定真っ黒(蓋すらあけていなかった)でしたので、洗浄して新しい油を差し直しました。これも巻き上げ時の感触がスムーズになるか重くなるかを左右します。毎回のように言っていることですが、ダメな業者に出すとほんとに全てが適当な作業をされてしまいます。「ここだけは見習いたい」みたいな所はゼロです。逆にレベルの高い仕事をする人は、そのサービスの対象となった時計の至る所に素晴らしさを見いだすことができます。そういう仕事のなされた時計からは、私も学ぶべきことが数多くあります。

 

地板に歯車をのせて組み立てていきます。香箱から二番車、三番車、四番車とガンギ車までつづくようす。このどれか1つに問題があっても、うまく回ってくれません。

 

ギアとなるカナと歯車が噛み合うところも状態をよくチェックします。

 

これは三番車のみを取り出して拡大したところ。ホゾのところをご注目ください。(真のいちばん細い部分)摩耗が進んで、わずかに表面が波打っているのが分かりますでしょうか。これは本当は新品に換えてしまいたいレベルです。時計というのは、ほんとうに些細な摩耗でも不具合の原因になります。量にしたら3/100mmも減ったらアウトです。1/100mmの摩耗でも場所によっては、もうそれだけで最高の性能が出なくなります。この程度までならなんとか再利用はできますが、今後間違いなく摩耗は進行して止まりの原因になります。(ちなみにこれは2/100mmまではいかないかな?という程度)

しかし、cal.601のようなビンテージ品となると、新品のパッケージ入りパーツはなかなか手に入りません。ebay やヤフオクなどで運良く見つけても、送料や税金に利益込みで当工房での最終価格は¥10,000以上になってしまいます。パソコンとネットの普及により誰でも気軽に参加できる一般向けのオークションは便利である反面、恐ろしいところです。ノウハウのない人間が真似すると、まがい物つかまされておしまいです。パーツ取りのつもりでジャンク品なんか絶対に落としてはいけません。この写真のホゾよりひどい物であるケースがほとんどです。そういうこともあり、私はオークションで調達する部品は原則的に未開封パッケージ品を探します。それはこういう事情があるからです。適当な中古ムーブメントなど、ホゾの状態は知れたものではありません。(中古品でホゾの状態が新品並みだった例しはほとんどないです)そのようなわけで、パーツ交換は非常に割高にならざる得ないのです。どうかご理解くださいませ。

毎度、交換すべきかどうか見積もり時はそのせめぎ合いです。今回は見送りとしました。(※)言い換えると、1年の動作保証期間をこなし、かつあと数年はなんとかなりそうだ、と見立てたというわけです。(1年の保証すら難しいと思われる状態の悪いものは、当然ながら容赦なく交換の見積もりをせざる得ません)

すり減ったパーツを騙し騙しなんとか再利用して、最高性能やご使用感がでるほど甘くないです。そういう虫のよいお話をされる方のご利用は固く固くお断り申し上げます。

(※)追記:三番車の未開封パッケージを追加でご注文いただきました。ありがとうございます。これで寿命はあと30年は大丈夫です。定期的メンテナンスの実施により、さらに子々孫々の代までもたせることすら可能と思われます。

 

交換パーツの話に熱が入っているうちに、ムーブメントは完成です。パーツの状態が修理の出来の8割を決めます。私にできることなど、残り2割の調整技術をどうしのぐか、その程度のことなのです。どんなに腕がよかろうと、パーツの状態が悪かったら、それはどうしようもありません。

たとえ世界最高の外科医でも、80歳の人間を手術して20歳と同じ身体能力にもどせますか?時計もそれと同じです。

 

ベースムーブメントの測定(半巻き)

左上)文字盤上 振り角 202° ビートエラー0.1ms +008 sec/day

右上)文字盤下 振り角 222° ビートエラー0.1ms +010 sec/day

左下) 3時下  振り角 191° ビートエラー0.1ms +007 sec/day

右下)12時下  振り角 193° ビートエラー0.0ms +002 sec/day

ゼンマイは全巻きから24時間経過後を想定した量による測定のため、振り角は200°前後と小さめ。手巻き時計は自動巻きと異なり、全巻きにしてから刻一刻とゼンマイはほどけていき、そのトルクが落ちることで性能も変化していきます。そのため、半巻きの状態を知る事は、その時計に適した調整を行うためのカギとなります。

 

測定により特性に問題がなく、裏輪列の組み立てを続けます。cal.601 はカレンダーがないため、ご覧のようにシンプルなものになっています。

 

文字盤と針をつけていきます。

 

いよいよケーシングです。ここまで来ればあと少し。

 

最終特性 (全巻き)

左上)文字盤上 振り角 273° ビートエラー0.3ms +010 sec/day

右上)文字盤下 振り角 279° ビートエラー0.2ms +006 sec/day

左下1) 3時下 振り角 240° ビートエラー0.0ms +008 sec/day

左下2)12時下 振り角 246° ビートエラー0.0ms +012 sec/day

右下3) 3時上 振り角 234° ビートエラー0.4ms +007 sec/day

右下4)12時上 振り角 224° ビートエラー0.2ms +005 sec/day

平姿勢で270°〜280°近辺までのびるようになりました。縦姿勢も220°〜240°でており、申し分ありません。歩度は実測でおおむね日差+10秒程度をマークしており、実用にも使いやすいものとなったと思います。

 

完成

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