今日の時計『セイコー GS スペシャル・ハイビート』

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おかげさまでご好評をいただいております『ブログに載せて¥500引き』キャンペーンにより、続々と修理例が集まり始めております。

今回は60年代末〜70年代オールドセイコーの代表的なモデル『61系』のひとつ。6155-8000 の修理依頼を佐賀県のH.T.様よりいただきました。

この年代の時計としては、極めて良好な特性を得るに至りました。

オーバーホールの様子は次のページをぜひご覧ください。


オーバーホール事例;セイコー GS スペシャル・ハイビート 6155-8000T

(佐賀県H.T.様ご依頼品)

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今回の時計はセイコーのGS Special Hi-Beat 6155-8000Tです。毎時36,000振動で、その名の通り、ハイビート・モデルとなります。1970年代に製造されましたが、この頃から時代はクォーツ式時計が爆発的に世の中へと出回って、次第に機械式時計は淘汰されるかに思われた時代でした。その後90年代に再びETAに象徴される機械式時計のブームが起こりますが、その頃にはすでに機械式時計はコンピューターとロボットを駆使したハイテク産業の下で、別次元の性能を持つ製品へと生まれ変わります。このモデルはいわば、機械式時計が腕時計の主役であった頃の最終形に属するモデルのひとつです。

 

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さっそく分解していきます。1つ1つのパーツをきれいに洗浄し、ならべたところです。ちなみに、撮影するかどうかにはあまり関係なく、常に私はこんな風にならべて作業をしています。組み立ての際に素早く目的の部品を選び出せるように、自分なりのカテゴリ別に分けてならべるようにしています。また、席を外すときなどは即座に全てのパーツが伏せ瓶をかぶせることができるような配置にもなるよう工夫しています。ちょっとの時間でも目を離した隙に、毛ゴミなんかが飛んできて紛れ込んだりしたら、せっかく洗浄した意味が半減してしまうからです。その位、ホコリやゴミの混入には気をつけています。

 

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今回とくに苦労したのは、テンプでした。輪の部分の一部が曲がっており、よくも天真のホゾが折れなかったものだと感心するほど、それは見事な振れっぷりを伴った動きをしておりました。おそらく以前に修理したとき、誤って輪の上に何かを落としたか、ぶつけたのでしょうが、動く事を幸いにろくに修正しなかったようです。(だんだん愚痴めいてきましたが、いい加減な修理をされている時計は本当に多いです)薄氷を踏むように、そーっとずつ曲がりをピンセットで直していきますが、限界があり完全には元のバランスには戻りません。最初は裸眼で分かるほど振れていましたが、キズ見越しでやっと「振れているなあ、、」と分かるレベルにまで回復させました。やり過ぎると、この部品は何の前触れもなく『ポキッ』と折れてしまいます。そうなったら弁償です。軽く数万吹っ飛びます。利益どころでなく大赤字です。だからどこの店もやりたがりません。私も失敗が怖いです。しかし、出来る範囲で最大限直すように努めています。修業時代にこの手のムーブメントのストックが尋常でなく揃っていた店で勤めていたこともあり、そこで何をどの位までやると『ポキっ』といくか腕に叩き込んできたので、手が出せます。(しかし店にとって私は最悪な従業員だったことでしょう笑)

 

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香箱も毎度例によってゼンマイを取り出してよく洗浄し、セットしなおしてから注油を施します。36,000振動の時計は駆動に大きなエネルギーを必要とします。そのため、ゼンマイも太くて大きなトルクを生み出せるものになっています。これがしばしば災いし、靭性を犠牲にしているため(厚みがあるほど曲がりにくい)無理な負荷がかかると簡単に折れてしまうことにつながります。結果、36,000振動の時計はゼンマイが切れやすく、70年代製のパーツストックが現在は枯渇していることもあり、ここも本当はあまりいじりたくない部分です。誤ってゼンマイを折ったりしたら替えがありません。しかし、何もしなければ汚れがたまって、それが負荷となり、ゼンマイはやがて折れてしまいます。やはり洗浄するしかないのです。手抜きの悪徳業者はゼンマイについて絶対に語らないでしょうし、「DO NOT OPENって書いてあるんですよー」などと子供騙しのセリフで素人を煙に巻くでしょう。(開けるな、の言い分はメーカーの弁です。ゼンマイを下手に扱うとトルクが変わってしまうので、部品が豊富にあった当時は香箱をまるごと新品に替えることも可能だったこともあり、それで良かったのですが、、)ちなみに、私が孤軍奮闘しているのではなく、香箱を開けるのは時計修理業界で良識ある店では普通に広く行われていることです。なにかと理由をつけ「うちでは開けてない」と言ったとしたら、技術の程度がそれで知れます。

 

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テンプに続き、アンクル(脱進器)にも問題がありました。左が修正前で右が修正後です。どこが違っているでしょうか?どうも、マーなんとかの法則ではありませんが、骨の折れるような作業はいつもなぜか決まって連続して起こります。ご覧の通り、赤いツメの片方が上を向いてしまっています。私が荒っぽく扱ったわけではないです。ベンジンの中でやさしく刷毛で洗った直後にこうなりました。よくあることです。ツメののり付け(シェラックといいます)が甘かったために起こります。もともとセイコーのこの時期のものは甘いのですが、理由はよく分かりません。当時の設計者がシェラック分の重みでさえ負荷となることを嫌って、わざとケチな量にしたとしか思えないほど、このモデルはどれもこれも皆こんな具合です。今回はアンクル調整について特集号にしようと腹をくくりました。

 

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ツメの曲がりを正し、お手製のフライパンにのせて、シェラックを添えます。左のケースに入っている茶色い物体がシェラックです。これを細かく砕き、ツメ石の上にのせます。これはインドの山奥に大量に住んでいる虫の分泌物だそうで、天然の樹脂です。(ホントです)高熱を加えると容易に溶け、常温付近では常に固体化する性質のため、接着剤として使われています。どうして合成のもっと強力な瞬間接着剤などを使わないかというと、それだと再調整するときに剥がす事ができなくなり、部品が破損してしまうからです。ツメは0.01mm単位で、位置を出したり引っ込めたりして、最適となるポイントを調整しなければなりません。そのため、頻繁に溶かしたり再接着することができるシェラックは実に都合がよいのです。念のため付け加えておきますが、これはどのブランドの製品であれ、アンクルと言えばシェラックです。そうでないものを未だ見た事がないほどデファクト・スタンダードであり、決して私の好みで勝手に使っている訳ではないので、あしからず。。

 

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準備ができたら、アルコールランプでフライパンを加熱し、シェラックを溶かします。今回はアンクルの形状がやや特殊なため、フライパンに装着したまま加熱しましたが、通常はフライパンだけを加熱したあと、アンクルをのせて余熱でシェラックを溶かします。下手にやると加熱し過ぎてアンクルの鋼鉄が焼きなまってしまうからです。このフライパンには、そうならない工夫がしかけられていますので大丈夫です。

 

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シェラックが溶けて、きれいに回り込んでいるのがわかります。アンクルの鋼鉄部分も全く変色していません(=焼き戻りを心配する必要はありません)

 

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仕上がったアンクルを組んで、ガンギ車との歯の噛み合い量をチェックします。2つあるツメの両方が同じ噛み合い量とならなければいけません。かつ、噛み合いは浅すぎても深すぎても駄目です。おまけに、一方のツメを動かすと、もう一方のツメの噛み合い量なども変わってしまう関係にあり、両方のツメの位置を最適なポイントに合わせるための技には、かなりの熟練を要します。出したり引っ込めたり、組んだり外したり、乱雑に行うと簡単に壊れてしまうほど繊細な部品のため、集中しながらこの作業を繰り返すのは、ものすごく疲れます。しかし、中途半端なところでやめてしまうと、理想的な特性になりません。キチンとやればやるほど、どういう結果になるか、次を見てみましょう。

 

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アンクル調整後に先ほど苦労したテンプも組んで、ようやく仮の測定です。まずは巻き上げ機構を組まない状態でみます。

左)文字盤下 振り角 252° ビートエラー0.0ms +005 sec/day

右)文字盤上 振り角 252° ビートエラー0.1ms +003 sec/day

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左上)12時下 振り角 224° ビートエラー0.1ms +010 sec/day

右上)3時下 振り角 221° ビートエラー0.0ms +009 sec/day

左下)12時上 振り角 236° ビートエラー0.1ms +005 sec/day

右下)3時上 振り角 252° ビートエラー0.0ms +005 sec/day

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続いて、自動巻ブロックを組み、ケースに収めた状態でも測定します。

左)文字盤下 振り角 270° ビートエラー0.1ms +000 sec/day

右)文字盤上 振り角 263° ビートエラー0.1ms +002 sec/day

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左上)12時下 振り角 231° ビートエラー0.0ms +011 sec/day

右上)3時下 振り角 241° ビートエラー0.0ms +007 sec/day

左下)12時上 振り角 240° ビートエラー0.1ms +007 sec/day

右下)3時上 振り角 247° ビートエラー0.1ms +003 sec/day

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完成。ずいぶん苦労しましたが、この年代の時計とは思えない特性を出すことに成功しました。最終的に振り角270°まで出たのは、今まで数えきれない程やってきたオールドセイコー36,000振動の時計の中でも、これのみです。普通はどんなに良くてもせいぜい240°〜260°止まりです。もともと高い振り角が出ないように設計されているからというのもありますが(36,000振動の時計は例えばゼニスのエルプリメロでさえ、最大定格は振り角260°の設計です)まず、滅多にみられない数字でしょう。ビートエラーが軒並み0.0ms~0.1msというあたりに、調整の確かさが表れております。歩度も0〜10秒内にほぼ全て入っており、申し分がありません。特性だけ見ると現行品のETA製品の上級ラインと区別がつかない位です。これが70年代セイコーで実現できるのなら、日本の技術もマアたいしたものでしょう。(しかし、実際にはこうならない品のほうが圧倒的に多いので、あくまで今回は特別出来が良かったものです)

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