SEIKO: Automatic Diver 6376-70001

セイコー ダイバー腕時計 6376-70001

セイコーのダイバーです。オーバーホールのご依頼ですが、分解前の測定はご覧のような有様。文字盤上だけが進みで、あとはよくわからないカーブの連続と、縦姿勢の一部は絶壁の下り坂。100年前の懐中時計も真っ青のデタラメ極まりない特性で、思わず『ウチでは直りません』と敗北宣言したくなるほど、これは恐ろしい状況を示しております。

 

バランスを分解したところ、ひげぜんまいが見事に斜めになっていました。これは持ち主の使い方によるものでしょうか?いいえ、違います。こんなに明らかに分かるほど傾いているのは、理由があります。時計を分解するときに、バランスにはそれぞれ適した取り扱い方があります。ところが、レベルの低い職人はどんな物だろうと同じように考え、雑に扱います。中にはひげぜんまいが柔らかくて特に注意を要するものがあっても、丈夫なひげぜんまいのそれと同じように扱ってしまうのです。それで、簡単にこのように壊されます。おそらく本人には壊してしまった意識すらありません。色々見てきて経験的に知っている私には、どこに悪い力が作用して壊れたのか一瞬で見抜けます。その一点をピンセットでちょちょいっと(全神経を指先に集中した一瞬のつまみ技で)直し、まっすぐに戻しました。言葉で書くと簡単ですが、意外とキチンと心がけて対応できている技術者は少ないものです。馴れで仕事してしまって、こういう所をしっかりチェックしません。よほど全国的にこの業界はダメな証拠です。決して他店を落としいれ自分を良く見せようとか、そういう底の浅い見識で言うのではありません。もし私の言うことが口から出まかせだとおっしゃるならば、とんでもなく高い確率で次から次とダメダメ修理された時計が回ってきて、それをブログ掲載できる事例に枚挙の暇がないことの説明がつきません。

 

テンプを組み直して、バランスの調整をさらに続けます。ダメ職人にはダメ職人なりのノウハウがあり、ひげぜんまいがぐらぐらに傾いていようと中心の狂ったものだろうと、緩急針のアオリの役目を無視して思いっきり内当てに調整してしまいます。そうすることでアオリがなくても擬似的にフリースプラングの時計として動作させてしまえるという、裏技というか私に言わせれば単なる手抜きによって切り抜けます。そのような調整手法は戦前から続く修理業界にはびこる悪癖です。初期の国産時計などは、コテコテの内当てにする事でしか、まともな特性が出ないほど作りがひどかった。スイスの緩急針を持つ時計をそっくりコピーしただけのものですから、製造メーカーも時計職人の修理レベルも大きく遅れていた。その時代に編み出されたやり方で、その名残りです。おそらく今はもう生きていないような昔の職人がやったのでしょう。その後、油も乾いてすっかりご機嫌ナナメになった時計は、冒頭のような狂った特性を示してヘソを曲げるに至ります。「だれかオレを助けてくれ!」

私の出番です。

 

キレイに洗浄して、耐震装置にも新しい油を入れてやりました。私には「このバランスならきっと上手くいく」という独特の感覚があります。今回はそれを感じられる水準にまで首尾よく調整し直せた感じが得られました。あまりにぐちゃぐちゃに壊れたテンプではなかなか満足する水準にまで回復させることは至難の業ですが、今回はまだ楽勝のほうです。さて組み立て後の測定が楽しみです。

 

こちらは地板の輪列穴石のようす。洗浄してキレイにしました。乾いた油汚れがこびりついたまま動作させると、歯車のホゾが痛んでしまいます。もう交換用の部品は市場にありません。多少の磨耗は目をつぶって継続使用するほかありませんが、やがて限界の日はきます。だいたいが、動かなくなるまで修理に出さないような持ち主が大半です。本当に時計を大切にしたければ、どうか私の助言を信じて5年に1回は必ずオーバーホールしてください。それをやるかやらないかで、ホゾの寿命は何十倍も違います。ダメにしてからでは遅いです。すり減ったホゾは元には戻せません。

 

こちらは香箱を分解したところ。洗浄し古い油と汚れを落としたところ、表面のメッキが剥がれて、所々地金の真鍮が見えてしまっているのがわかると思います。写真では伝えにくいものの、一番磨耗しているのは香箱真の収まる中央の穴の内側です。今回はここの磨耗などがひどすぎるため、トルクが安定しない原因になっていると判断。これも修正します。

 

香箱などの穴は周囲を叩きつぶして穴の径を縮めることで、ある程度までは修理が可能です。ポンス台にタガネをセットして、ハンマーで叩きます。当然ですが、これには力加減というものがありますから、使い物にならないほど変形させたら香箱そのものがお釈迦です。ほどよく穴を潰して内側をカッターで真円に切り抜き、研磨でよく磨いて穴を再生させます。一連の作業にはかなり手間暇かかりますが、これもヘソを曲げてしまったコイツには必要な修理です。

 

いつものようにキレイに注油されたBefore & After ですが、この前後には今回のようなタガネ作業が入っていたりします。ちょっと写真に撮っても変化が目で見てわかるようなものでなく、本当に繊細な作業のため普段あんまり詳しくご紹介しておりません。どんなに詳しく紹介しても真似される心配はないと断言できるほど、力加減がむずかしく、見よう見まねでやって同じクオリティの作業を実施することはまずムリなので、技術の流出を恐れて隠してるとか、そういうケチな理由ではないです。できる職人はみんなやっていることで、ウチが特別ということはないです。

料理番組って簡単そうにやってますでしょ?でも、あれ見て誰でも簡単に出来たら三つ星レストランなんていりませんね。時計も全く同じです。ちなみにWOSTEPのcartificate以上の技術者は、全員がこの技術を持っており、規定の点数をクリアしないと最終試験を受けられないプログラムになっています。ほかにも脱進器に絞った試験とかバランスだけの試験とか色々あって、それぞれクラスメイト達と腕前を競って、訓練で鍛え上げられた技があって初めて出来るような内容です。道具さえあれば誰でも簡単に一発でできるようなものではありません。また、日本のみならず世界中どの国のどの国籍の技術者であれ、WOSTEPの場合は共通のレベルに統一されています。だから、どの国でも通用するのです。私が資格取得後にいきなり外国でこの仕事でメシが食えたのも、私がWOSTEPの技術者だったからです。

 

今日はもう疲れたので、洗浄が完了したパーツはケースに収めます。

私は時計学校の在学中に合格した二級時計修理技能士でもあるのですが、その話は向こうの人事にしても「へえ、日本にもそんな試験があるんだ?」程度のリアクションしかもらえません。スイスから時計メーカーのトレーナーが来た時も、「Did you passed wostep? Conguratulation !」(「 WOSTEPを取ったの?凄いね!」)と褒めてくれました。スイス人は世界の機械式時計の市場を牽引している自負があります。人にもよりますが、日本に対してはクォーツショックで辛酸を舐めさせられた記憶はあっても、機械式時計で負けたとは思っていません。かつての天文台コンクールも掟破りの外国人力士が横綱になって、滅茶苦茶やってくれたのと似ています。日本の機械式時計づくりは彼等の心の琴線に触れたとは言えず、その後もクォーツ式では商業的に成功を収めましたが、機械式時計の販売においてスイス製を凌駕したことは一度もない状況にあります。このように日本の時計修理技能士資格は、国内のクォーツ式時計のアフターサービスとしては機能しましたが、それも90年代の機械式時計ブームの再来頃から怪しくなりました。そして現在、国内はともかく、海外においては全く通用しないといってよいです。私にはこうした強烈な自体験もあり、一級技能士試験は実務経験を経て受験資格を得てからも、結局今の今に至るまで一度も受けておりませんし、今後も取る予定はありません。受験料払ってまで欲しいとも思いません。

 

別にクロノグラフでなくても、夜をまたぐ修理はあるのです。今日はひげぜんまいやら香箱やら、曲がった根性をおかしな部分を叩きなおす作業が大変で日が暮れてしまいました。

日本社会の闇は年功序列というか、年長者が(なんの意味もなく)エライあれです。日本のWOSTEPの技術者は全国に約300名ほどしかいません。それを上回る数のCMWやら一級技能士やらの年配職人が若手をいびり倒して、WOSTEP職人の力を過小評価させているのが現実です。実際には日本の国家資格である一級時計修理技能士はクォーツ時計しか直せなくても取れますし、まして当ブログで公開しているような機械式時計の修理技術を持っているとは限りません。しかし、CMWはWOSTEPに匹敵する資格だと私は認めます。(年配者が多いCMWの時計師は若年者が多いWOSTEP技術者を認めたがりません。)これとはまた別に、時計修理の技能士についてはそもそも試験の内容がクォーツ時計しかカバーしてませんので、機械式時計の修理技術という点では全くの未知数なのですが、案外世間ではこのことは知られておりません。ちょっとどうかと思います。だから一級二級技能士が全国に何千何万といる割には、残念な修理の時計が一向に減らないのではないでしょうか?(ついつい脱線しました)

 

日が変わって本格的に組み立てていきます。裏周りの巻き上げ機構のようす。

 

続いて、輪列と受け。

 

アンクルとテンプ。ハイ完成。修理作業の味噌は下ごしらえともいうべき昨日がヤマで、あとは私にとって単なるルーティン作業のようなものです。しかし、あれこれエラそうに言っている本人が手慣れに陥って、作業がおろそかになってはいけません。(ついにネタ切れで苦しい言い訳。本音トークに熱が入りすぎて、ちと休憩。)

 

ベースムーブメントの測定 (半巻き)

左上)文字盤上 振り角 205° ビートエラー0.0ms +011 sec/day

右上)文字盤下 振り角 203° ビートエラー0.0ms +011 sec/day

左下1) 3時下 振り角 170° ビートエラー0.2ms -009 sec/day

左下2)12時下 振り角 186° ビートエラー0.1ms +000 sec/day

右下3) 3時上 振り角 196° ビートエラー0.2ms +009 sec/day

右下4)12時上 振り角 197° ビートエラー0.2ms -001 sec/day

さあ、冒頭の滅茶苦茶な波形はご覧の通り、甦りました!

全巻きから24時間経過後(T24)を想定した、半巻きの特性。そのため、縦姿勢などは振り角も200°に届かず、所々マイナスも見られます。しかし、これは意図あってこのように調整しています。全巻きの特性からだんだんと変化していって、トータルで最も良い特性となるようにするためです。

 

カレンダー。

 

文字盤と剣つけ。

 

ケーシングしつつ、自動巻ブロックを組み込んで完成です。

 

最終特性(全巻き)

左上)文字盤上 振り角 223° ビートエラー0.0ms +012 sec/day

右上)文字盤下 振り角 230° ビートエラー0.2ms +017 sec/day

左下1) 3時下 振り角 201° ビートエラー0.1ms +002 sec/day

左下2)12時下 振り角 203° ビートエラー0.0ms +004 sec/day

右下3) 3時上 振り角 203° ビートエラー0.2ms +013 sec/day

右下4)12時上 振り角 205° ビートエラー0.2ms +011 sec/day

とても分解前の同じあの時計とは思えません。デタラメな状態でも情熱を持って手入れしてやれば、期待に応えてくれるものです。

今回はバッチリ、アトリエ・ドゥの必勝パターンでめでたしめでたし♪

 

完成

今回のサービス料金:オーバーホール(自動巻き) ¥20,000

交換パーツ費用:なし

外装研磨サービス:洗浄のみ ¥0

ブログ掲載オプション:¥5,000

合計:¥ 25,000

 

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