古き良き時代

オイラは目立たずひっそりと

かつてアトリエ・ドゥで修理してきた時計たち

クォーツショックも過ぎてふたたび機械式時計がブームとなってからずいぶんと久しいです。ちょうど本邦のバブル崩壊からの30年に重なるこの期間には、実用性ではなく趣味としてのアイテムであり、所有することが満足の対象となるような時計たちが次々と生み出されました。

機械式時計というものは、精密機器です。その寸法は1/100mmと誤差のないほどに正確であり、常に最高のパフォーマンスを発揮するためには定期的なオーバーホール・メンテナンスの実施が欠かせないものです。整備を怠って油がきれてきても動くだけなら動きます。しかし、油のきれた状態で使い続けると、内部のパーツなど部品は摩耗によりすり減ってしまって、簡単に劣化してしまいます。その量がわずか1/100mmであっても、パフォーマンスに与える影響は重大です。そのような痛んでしまったパーツでは、理想の精度を保たせることはもう叶わず、何世代も昔の時計のような低い性能に落ち込んでしまうのです。そうなってからでは、いかに腕のよい職人でも元には戻せません。パーツを新しいものに全部取り替えてしまうのでなければ。

日本という国は、経済的には成功した国だったのでしょう。かつてはGDPで世界第2位の規模を誇るまでになりました。しかし、栄枯盛衰の波にのまれて今や落日の兆しが見え始めております。政府の莫大な借金経営で成り立っていたような経済は、どこかが間違っていたのではないでしょうか。詳しくは専門外のことにつき、ここではこれ以上深く立ち入ることは控えたいと思います。ただ、没落の際に瀕している事実だけは衆目にも明らかであることだけを指摘しておけば十分でしょう。日に日に高騰する物価。先行きの明るさが全く見えてこない社会的な閉塞感。時計修理をとりまく環境と、ご利用になるお客様が置かれた状況は、確実に変化してきていることを感じずにはおれません。

パーツの交換がポケットマネーでほい来たと、気前よく整備できた時代は華でした。ところがいつしかパーツの価格も2倍になり3倍になるに及んでは、もはやかつてのような放漫財政では個人の懐も立ち行かなくなりつつあります。やれ、オークションだ。中古販売だ。あこがれのあの時計が安く買える。修理して使えば使えそうじゃないか。どうせパーツ交換などいくらしてもたかが知れている。そう、知れていたはず、でした。ところが、いつの間にかパーツ代だけで何万円、何十万円ということになって、とても一般人の感覚では不経済と言わざるを得ない状況になってしまいました。それどころか、それだけ費用を用意しても、パーツそのものがどこにも売っておらず、入手できないような市場からの枯渇化までもが顕在化しつつあるのです。そして通貨の信用が失われつつある現在の日本円の見通しは決して明るくはありません。いっそうの円安となればなおさら海外からの輸入品の価格は上がり続けるでしょう。今日よりも安くなることはないです。

このような大きな流れは、ゆっくりとですが確実に起こっております。真綿でじわじわ首を絞められるように収益が悪化の一途を辿っております。私は時計修理の営業方針を変えざるを得ませんでした。もうかつてのように、直せるならば直そう、とはいかなくなったのです。従来のような「壊れてから修理に出せばいいや」という態度で機械式時計に接してきたユーザーの方々には冬の時代となるでしょう。そういう時計はもう直せないのです。壊れてからでは、遅いんです。

これからの機械式時計は、持ち主の態度にシビアな要求を課すでしょう。それは、日ごろからお使いになる中で常に状態を把握して、歩度が遅れたり進んだりをよく観察しておき、状態に大きな変化が見られるようになったり、歩度のみならず時計のその他の機能や操作感などにも注意を払って不具合があるようであれば、すぐにメンテナンスに出すように心掛けておくことです。これは昔から何も変わらず、本来あたりまえのことなのです。そのあたりまえのことが、これまでは無視されてきたか、ご存知ないような自称時計ファンがやたらと多かった。もうそういう方々にはご退場いただく日が来たということです。本来の正しい機械式時計のオーナーシップを持った方々だけが、愛玩することを許されるものなのです。そういう深遠な趣味の世界のものなのです。

これらの状況を鑑み、当工房では定期メンテナンスのオーバーホールを専門に行う方向へと舵を切ることにいたしました。もはや、ろくに整備されてこなかったような中古品を復活させるような仕事は行いません。それと知らず、そういうものばかりを集める方にも当工房の門からはお引き取りいただきます。これに伴い、これまで実施してきたような当工房のそういうサービス。とりわけ【すべておまかせコース】において対応してきたようなものは、廃止とさせていただきました。過去の修理事例としては残しますが、これらはあくまでも過去にこのような時計があって、こうした修理が行われていた、という資料の意味でご提供いたします。検索をすれば情報はヒットいたします。今問われておりますのは、その情報を処理できる能力です。この点によくご注意いただきたいと思います。

あとこの先どれだけ時計修理業として継続できるかどうかも怪しくなってまいりました。もはやこの仕事だけでは生活不可能になりつつあります。私は庭でサツマイモ作りを始めました。趣味とかではなくガチで生き残りを賭けてです。いつ令和の米騒動になるかわかりません。いつ台湾有事でシーレーンが閉ざされてスーパーの棚が空っぽになるかわかりません。国は助けてくれません。誰も助けてくれません。なってからでは遅いです。時計と同じで、壊れてからではもうダメです。最悪の事態は起こらないで欲しいとは思います。またそう願っています。しかし、事なかれ主義では生き残れません。キチンとリスクを把握したうえで、それに対応できる備えが必要なのではないでしょうか。頭で考えるだけなら、誰でもできます。実際に行動できるかどうかが、その人の真価です。私を笑いたいものは笑えばよい。準備を怠らなかった人々だけが生き残って、最後に笑うのだと思います。

この先は、時計修理というサービス業態に限って言えば、ひたすら価格安競争という消耗戦のような気がしてきました。同業他社もどちらが先につぶれるか、残されたパイの奪い合いの様相を呈してくることを覚悟しております。生活のためには是非にでも稼がねばなりませんので。ある程度までは料金を安くせざる得なくなると思いますが、これ以下なら別のことしたほうがマシだと思うか、経済圏の一員として社会に参加する意味がない、というところまでいったら、そこでプッツンすると思います。(苦笑)もともと厭世的で世捨て人候補の私のような人間が、今でさえよく持ちこたえたほうです。もういよいよだという日が来たら、潔く閉店させていただきます。またその時にはご挨拶しようと思いますが、今のところサーバーとドメインは2025年いっぱいまで前払いしてますので、更新のタイミングで判断すると思います。2025年12月でアトリエ・ドゥはちょうど10周年になりますので、そこでキリよく去ろうかなとも考えております。

時計は食えないので、イモでも食います。(笑)

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