【すべておまかせコース】のサービス事例

『すべておまかせコース』は、現在では交換用のパーツが入手できないようなアンティーク品などを修理したい場合の、最終手段としてご提供するサービスです。代表的なサービス事例として今回は『ジャガールクルト・パワーマチック cal.481』を取り上げます。製造は1950年よりも以前の古いものです。左の18金ケースのものが当工房にて別途仕入れたものです。価格は時価となり、代替機パーツ取り用として150,000円をサービス費用に加えてあります。(総額は記事末尾を参照)


分解前の測定から行います。こちらはご依頼品のステンレスケースのほう。平2姿勢だけ見ると振り角も一応は200度まで振っており、歩度も表で+5秒、裏で+15秒と、これだけ見れば使えそうにも思います。ところが、縦4姿勢では歩度がバラバラな上、波形も波打って全く安定しておりません。もうメチャクチャと言ってよく、これでは実際に腕に装着して実用したときの歩度がどうなるかなど分かったものではありません。単にコレクションするだけなら持ち主も気づかないかも知れません。

この手のお品を中古店やオークションで入手して、当工房へ修理を依頼される方が多くございます。ご依頼主も「平姿勢で日差+10秒くらいでした」などと、さも良品のように当初はオーバーホールをご依頼されました。しかし、それは売り手の文句に騙されており、置き時計ならばともかく、腕時計は平姿勢など1姿勢のみの実測結果だけでは性能を推し測れないこと、年式からしてもとても通常コースでの受付は無理であること、どうしても修理したい場合は「すべておまかせコース」扱いになることをご説明し、お見積もりをしてご承諾いただき、今回の修理に至ったという経緯があります。(たいていの方はパーツ取り機の見積もり金額をみただけで驚いてキャンセルされます。そのため、ブログ掲載オプションにあまり事例が掲載されませんが、類似のご依頼は非常に多く後を絶ちません)


続いてパーツ取り用のほうです。こちらも見るからにまともな特性ではありません。解説するまでもない駄品で、実用性はないでしょう。実測した日差は数分の進みという状態です。これはebayで海外から仕入れました。売り手は「keeping good time」などと称しておりました。また、よくある別のフレーズに「No claim No return」というものがあり、返品は受付してくれないことがほとんどです。鉄道などが定刻どおりに発着するのは日本くらいのものです。日差数分以内ならば、それで十分に使える時計なのかも知れません。海外の事情に詳しい方であれば、「ちゃんと動くんだから勘弁してやれよ」といった按配なのかと。日本の常識が通用しない国などいくらでもあります。

そして、今回のご依頼のモデルに搭載されたcal.481で、少なくとも動作すると思われる時計は、この時計を仕入れようとしていた時点では他にどこにも見つかりませんでした。あとはムーブメントだけの状態とか、すでにパーツ取りされた残りのようなジャンク品ばかり。経験上、そういうものはお金をドブに捨てるつもりでもなければ使えません。最低限「動く」ものを基準に入手する品を選定し、運悪くその時の市場になければ修理は見送りとさせていただきます。


裏蓋をはずしたようす。ご依頼品(左)はローターの一部に擦れて地金が黄色く露出した部分が少し目立つことをのぞけば、どちらもパッと見は同じように見えます。そして、オークションなどでもだいたいこのサイズの倍率の写真であることがほとんどだと思います。裸眼で自然に見えるのと同じくらい。しかし、それでは時計の本当の状態など判断すべくもないのです。どういうことか、レンズの倍率をさらにあげて見比べて行きましょう。


これはバランスのまわりを少し拡大しました。ご依頼品(左)のほうは、緩急針の一部などに赤茶色にサビが出ているのがわかります。このパーツは可動させてバランス軸の端に入る石を取り出すことができる仕組みで、抑えバネとしての役割も兼ねております。いわば初期の耐震装置で、懐中時計から現在の腕時計へとムーブメントが進化する途上の過渡期にあった仕組みであり、あまり他ではみかけません。この時代の特定の製品にしか見られないものです。汎用品などなく交換ができません。こういった特殊なパーツなどは状態が良い別の時計から取って交換するより他にはありません。よく「なんとかします」と言って何でもかんでも受付する時計修理店をみかけますが、要は代用品を適当に自分で加工したような“やっつけ仕事”をされてしまうことがほとんどです。それはかえって時計の寿命を縮めたり、さらに故障箇所を増やす原因になることがあります。当工房がオリジナルパーツへの交換にこだわり、安易な自作パーツ作りなどのやっつけ仕事は行わない理由のひとつです。


ローターも拡大してみると、表面に緑青などのボツボツが所々でてしまっているのが分かります。ケースにムーブメントを固定するクランプなどにもサビが見受けられます。ムーブメント内部に湿気が入ってしまっており、相当年月に渡って放置されてきたものと思われます。ネジ溝などもボロボロに痛んでおりますので、過去に何度かメンテナンスに出したのかも知れませんが、現状はすっかりくたびれて寿命に至った退役の時計とさほど状態が変わりません。そういうものでも、まだなんとか動作するというだけで結構なお値段をつけて中古品として売る店は、決してめずらしくはありません。中古の時計専門店として全国に名の知られているような店でも、意外と時計の中身まではノータッチでありろくに整備もせず、ただ売るだけという所もありますから、要注意です。


本体を分解していきます。リュウズを抜いたところ。ここにもサビが見られます。リュウズと巻き真はネジ式でつながっていることが多いのですが、ここがサビているとリュウズの頭だけを取り外して新しく交換したりすることができません。無理に巻き真を取り外そうとすると、ネジ溝の内部にまでサビが回っていた場合は途中で折れてしまったりします。そうすると、巻き真もリュウズも両方とも交換せざる得なくなり、交換パーツがあればまだ良いのですが、ない場合は地獄を見ます。巻き真ならば自作できないこともないのですが、よほどに毎日巻き真ばかり作っているような時計師はともかく、普通にやれば1日仕事になります。リュウズのほうも汎用品で形状が近いものを選ぶしかなく、オリジナルのパーツなどは入手する術がありません。


ケース本体のリュウズが差さるパイプの部分。明らかに摩耗でボロボロにすり減っており、しかも割れて形が変形しておりました。これでは時計の内部に湿気でも何でも入り放題です。くどいようですが、こういう所もろくにチェックせず、ナン十万円とかで時計を売りさばく人間の神経が知れません。巷で目にする中古品というジャンルの実態として、こと腕時計に関しては、これは決してめずらしい事例でも何でもなく、ままあることです。過去これと似たような事例は数えきれないほど目にしてまいりました。こういうものを、当工房で通常コースと同じ料金でオーバーホールできるかと言えば、当然無理ということです。きちんと直す必要があり、修理の範疇に入ります。


古いパイプは除去し、あたらしいパイプを埋め込みました。オリジナルは真鍮製のようですが、汎用品でステンレスのより優れたものへと交換してあります。内部のムーブメントと違い、外装については汎用パーツなどが豊富にあるため、オリジナルにこだわらなければより優れたものへ交換が可能です。リュウズですが、幸い今回はそれほど痛みが致命的ではなく、リュウズとしてまだ機能すると判断して継続利用することにしました。パイプを交換しただけですが、操作性は段違いに安定し、スムーズでなめらかな回転に戻りました。


こちらは代わって内部ムーブメントを分解していくところ。このように、対象となる時計とパーツ取り機の両方をすべて分解し、状態のよいパーツを再選別した上で新しく1台のムーブメントとして作り変えます。単に問題のある部分のみならず、その他のパーツについても選別を行うため、組み上がった時計の性能は飛躍的に回復する期待が高くなります。この『複数台組み上げ』の作業により、アンティーク品でも実用に耐える時計へと生まれ変わるのです。ただ壊れた部分だけをジャンクなどから抜き取って交換している修理は他店でも同じことをやっている店は多いと思いますが、ここまでやるのはアトリエ・ドゥだけだと自負しております。


ムーブメントを組み直していきます。他店でまずやらないだろうと言い切れる理由ですが、実は時計というものは1台1台がそれぞれ微妙に調整の具合が異なるものです。そのため、同じムーブメントのパーツだからと言って、適当に組み上げていけば同じように組み上がるだろうと言うと、そうではないのです。歯車ひとつひとつと、それを固定する穴石や受けのアソビとなる部分(修理用語では『アガキ』と呼ぶ)の量などが全部微妙に違います。そのため、別の個体からとった輪列受けなどのパーツをそのまま交換して使うと、場合によってはアガキ量がゼロになってしまい歯車が回らなかったり、仮にマイナスだった場合にはうっかりネジ締めした瞬間にパキーンと石が割れたり、歯車のホゾが折れたりします。まあ、これは余程に古い時計で手作りに近い時代の話であり、現代の汎用機などではそういう事はあまり起こりません。しかし、こういうことも知らないと古い時計の修理は手が出ません。(それもごく初歩的なことに過ぎない)


そのひとつひとつ微妙に違う部分を、時計師の技により再調整しながら組み立てる必要があります。受けの穴石であれば、1箇所づつ全て位置を動かしてアガキ量を正しく再設定するということです。これには大変手間も時間もかかります。文字通り、時計を作り直すのです。これには新品のムーブメントを製造ラインで組み上げるのと全く同じ技術レベルが要求されます。つまり、この時計が作られたときのジャガールクルトの組み立てを担当した時計師と同じかそれ以上の技術レベルになくては、出来ないことなのです。組み立て説明書をみながら誰でも趣味でできるような模型工作などとは訳が違います。

昨今はネットでなんでも情報公開して、一般の方も軽いDIYと同じようなつもりで時計を分解してみたり、そういうことをすすめる記事なども時折みかけます。やめたほうがいいです。時計師であるプロの職人は、皆数えきれないほどの失敗を繰り返してそこから学んで今日があります。何の心得もなく挑んだら、修理どころか、せいぜい余計にパーツを壊して時計をダメにするのが関の山です。(それでも構わないからやってみたいというならご自由に)本当のことを書いておきます。時計内部は素人がおいそれと扱えるような領域にはありません。


ベースムーブメントが組み上がりました。どのような特性になるかは、組み立てる本人にも分かりませんので、いつもドキドキします。結果はご覧の通り大成功です!歩度がかなり進みで調整してあるため、タイムグラファーの読み方がわからないと冒頭の特性との違いが少し分かりにくいかも知れませんが、ポイントは振り角と姿勢差となります。平姿勢は200度以上振っており、状態が良かった個体の性能が引き継がれています。特筆するのは歩度のほうで、冒頭の結果と見比べれば線形がどの姿勢でも揃っており、かつ進みと遅れの差も縮まってきていることが読み取れると思います。全体の進み遅れは緩急針により調整できますが、ここで敢えて進みとなっているのは理由があります。それは後ほど説明します。


文字盤と針をつけたところ。ご依頼品にはもともと秒針が欠落しており、これはパーツ取り機のほうからそのまま秒針をとってつけました。針に関しては汎用品でも似たサイズや色形のものが豊富にあるため、それらを穴の大きさを締め直したり逆に大きく削ったりして加工すれば使えないことはないのですが、今回はせっかくオリジナルのものがあるのですから、これを使います。アンティーク時計などは、作られた時代ごとの雰囲気などがあり、汎用の新品の針などを合わせてしまうと、どうにも違和感などがつきまとうことがあります。多少は劣化したりしていても、やはり同じ時代に作られたものがあれば、違和感なくなじみます。外装はここが難しく、風防などもオリジナルのプラスチック樹脂製にこだわる方もおられます。私個人としては、サイズが同じで取り付け可能なら、断然サファイア・クリスタルが風防としては現状もっとも適していると思うのですが。この辺りは依頼する方の趣向をよく聞いて、可能な限りはご希望に添った修理となるように努めております。


ケーシングまできました。バンパー式と呼ばれる自動巻きの機構が特徴的です。バンパーのバネにぶつかって、その反動エネルギーも利用しつつ、錘を往復運動させることでゼンマイを巻き上げます。現在の主流は両方向にどこまでも回転しつづける形状に進化していますが、これはその自動巻機構が発明されるよりずっと以前の懐中時計時代にあった仕組みを腕時計に転用したものです。アイディアのもとはアブラアン・ブレゲの活躍した18世紀にまでも遡るものです。

サビや緑青なども落として、時計としてすっかり生まれ変わりました。過去幾たびもの整備によると思われる小傷などは取れませんが、現行品のムーブメントたちと比べても見劣りしない整備の行き届いたムーブメントっぽくなったと思います。これこそ実用可能な状態です。


完成した個体の最終特性です。振り角は少し伸びて平姿勢で最高240度前後まで出ております。縦姿勢でも200度近くにあがってきています。これは自動巻機構による巻き上げトルクが付加されたためです。機械式時計のバランスは、専門用語で等時性という物理現象が働き、原則としては振り角など運動の『振幅』が変化しても、そのリズムであり時間的な長さを示す歩度であるところの『周期』は一定である、と定理は述べます。しかし、これは振り子時計の話であり、腕時計のバランスは構造がより複雑で振り子時計の理論だけでは説明できない複合要素が絡みます。そのため振り角の変化により、歩度も変化をいたします。理論に近く理想的なものを称して、時計の世界では「等時性がよい」などと表現します。(やや特殊な使われ方です)

ベースムーブメント単体での測定の時は、歩度が進みでした。それから緩急針の位置は全く動かしておりません。つまり、振り角が変わったことにより、歩度が変化をした結果がこの特性というわけです。現代のムーブメントはこの『等時性』が非常に優秀なものばかりのため、振り角の変化に対してここまで大きく歩度が変化するものは少なくなりました。これはあくまで昔の技術レベルのバランスにおいて、よりはっきりと観察される現象です。バランスのひげぜんまいを始め、テンワの素材や加工技術や精度など諸々のことが、20世紀後半に登場したコンピューターや科学技術の進展によって大きく影響を受け、進歩した結果です。こういった違いなどもアンティーク時計を整備する上では時計師として知っておかなければなりません。

以上、『すべておまかせコース』の典型的なサービス事例をみてまいりましたが、いかがだったでしょうか。アンティーク時計を実用可能なまでに整備することは大変なことです。予算も非常に多く必要となる理由もこれでよくお分かりになったかと思います。このことを踏まえたうえで、なおどうしても整備をご希望される時計があり、他店で断られてどうすることもできない場合には、アトリエ・ドゥの『すべておまかせコース』をご利用いただくことを、ぜひご検討ください。

【サービス参考価格】

  • パーツ取り用機   ¥ 150,000
  • 複数台組み上げ費用 ¥ 30,000 (目安は手巻き時計×2台分)
  • 外装パーツ交換など ¥ 15,000

 合計 ¥ 195,000