Breguet – Classique

Breguet | Classique ref.5140

ブレゲのクラシックref.5140のオーバーホールご依頼をいただきました。前回のオーバーホールからは5年経過しているとのこと。さてどうでしょう。


ブレゲ・クラシック ref.5140

まずは分解前の歩度測定から。振りが平姿勢で210°前後、縦姿勢では170°前後と元気がありません。歩度も全体的に10〜20秒ほどの遅れが見られます。


裏蓋をあけたところ。サビなどは見られないものの、注油の乾いた感じがあります。整備から5年経てばどんな時計でもだいたい油は乾いてしまいます。モノによってはもっと早く乾きます。オーバーホールの目安は5年に1回以上を推奨しますが、これは最低限の話です。きっかり5年持つという意味ではありません。3年に1回なら尚良いですし、中には2年に1回出すお客様もおられます。


前回の整備は銀座の某有名サービスセンターとのことでしたが、それにしては、、、。ローターの留めネジまわりに小傷が目立ちます。


ブレゲの自動巻ローターは寸法などがとくにキッチリと作られていて、無駄なアソビがありません。そのため、普及価格帯の量産品(例えばオメガ)の同種の機構を分解するようにはいきません。ピンセットで適当に錘をつまんで持ち上げればスルリとは抜けず、軸の付近を軸を中心に挟んで2カ所以上をつかんで持ち上げる必要があります。要するに完璧に軸にたいして垂直にまっすぐ力を加えなければ抜けてくれません。前回担当はたぶん知らずにグリグリやって傷をつけたと思います。


全てのパーツを分解して洗浄したところ。明らかに壊れたりしている様子のパーツは見当たらなかったものの、なんとなく嫌な予感がいたします。例によってブレゲも一番安いモデルで200万円前後からというクラスの超高級品ですから、こういうものは決まって繊細に作られております。ちょっとでも雑だったりいい加減に扱うと、たちまちあちこち曲がったり形が狂ってしまって、正常に動作しなくなります。


バランスを組んでひげぜんまい等を調整します。緩急針のないフリースプラングタイプで、ひげの色味もちょっと普通のニヴァロックス系とは違うようです。実は今年の初めごろに大失敗をやらかしました。特殊合金系のひげに気がつかず、普通のひげだと思って調整しようとして折ってしまいました。当工房で入手できないパーツで、お客様には謝って正規サービスセンターで再修理していただくことになりました。バランス一式交換になり約20万とられました。規定により当工房の過失による破損でも10万円もしくは時計の時価いずれか安い方までしか補償しておりませんので、半分の代金の弁済でなんとかお許しをいただくことになったのですが、その時の記憶が蘇りました。


香箱と巻き上げ機構を組み立てるようす。これまた特殊なつくりで、自動巻きにもかかわらず香箱には蓋がありません。薄型を追求したムーブメントですので厚みを抑える意図ももちろんあると思いますが、それ以上に「ほら、どうだ!こんなの真似できないだろう?」という実力誇示の意味合いも多分にあると思います。


輪列部分の歯車をのせたところ。昨年末から今年にかけて超高級品ラッシュで、世界の名だたるハイエンド・ブランドの修理事例を数多くご紹介してまいりました。まさかの時の補償額に比して、当工房には身に余るたいへんな時計ばかりをお預けくださりまして、ご依頼のお客様にはとても感謝をいたしております。


輪列受けまで組んだところ。傷をつけずに分解・組立するだけでも、こういう高級品は本当に大変です。まして調整によりパーツに力を加えて位置や形を変えることは、常に破損というリスクがつきまといます。パーツ単品で替えがきくものならいざ知らず、入手できないような特別な製品でこれを行うことには限界があります。たとえ技術があっても、失敗した場合のことまで全て覚悟しなければなりません。どこまで手を加えられるかは職人の技量と度胸次第です。修理を実施する判断は常にそのせめぎ合いです。


巻き上げ機構を組んだようす。ブレゲの時計もどこを見てもケチのつけようがない素晴らしい作りです。一流の手によって作られた時計です。こうした時計をおかしくしてしまうのは、悲しいかな二流以下の職人のサービスです。時計学校の偉い先生も言っていました。「時計は持ち主が壊すんじゃない。時計師が壊すのだ」と。キツい戒めですが、その通りだとしみじみ思います。

ウチみたいに分解前と修理後で6姿勢全部の特性を計測して客に開示する義務でも定めれば、時計師に相応しくない輩は自然淘汰されると思うのですが。まずやらないでしょう。それをやるとたぶん全国の修理業者の半分くらいは潰れちゃうので。


アンクルと受けを組んで、爪石とガンギ車のかみ合い量をチェックします。停止面落下を起こすギリギリの浅いところに調整してあり、これ以上はツメの位置をどうこうして性能をあげることができない状態です。分解前からバランスの振り角が低めであることが気になっており、アンクルなど脱進器まわりが最も怪しい部分だと思って入念に調べたのですが、どうも違ったようです。


ツメ石の調整量に問題がなく、ツメに注油を行いました。バランスの振り角は、香箱・ゼンマイ、輪列・歯車、脱進器、それからもちろんバランス自身の調整具合など、全てのことがトータルに影響を与えます。どれか一つに問題があっても最高性能に届きません。見てわかるほどの摩耗や変形なら気がつきます。しかし、微妙な摩耗やほんの僅かな曲がりなどは顕微鏡で見ても分からないことがあります。そうした『ほんのちょっとの痛み』でも与えてしまわないように注意を払って作業します。時計師であれば当たり前のことなのですが、無頓着で意識レベルの低い職人の粗雑な作業により、あっさり時計は壊されるのです。


ムーブメントの組立が完成しました。バランスの動きは少しフラフラしておりブレがあります。耐震装置の油が完全に乾ききっており、軸が少し摩耗していたのかも知れません。緩急針がなく、テンワのネジを回して重りの位置を変え回転モーメントの変化で歩度を調整するタイプですが、そのネジがこれまた特殊パーツで非常に調整が難しいものです。回し方を間違えるとポッキリ折れるほど小さく繊細です。4本のネジをいずれも1/4回転ほど回しましたが、例えばこれがロレックスならそんなの回しすぎです。モノにより全然ちがいますから、調整勘がなければ全部手探りです。1回転以上しないと歩度が合わないようなら、それはもうどこかが設計・製造時とは異なっていると考えるべきでしょう。1/4回転でもどうかと思いましたが、とりあえず当工房でできる範囲までで調整を行いました。


ムーブメントの測定。一部の姿勢でわずかに数秒の遅れがあるものの、主要ポジションで0〜10秒以内に入りました。ダメというわけでもないのですが、ブレゲならもう少し追い込めるかな?という気もします。どこが悪いとハッキリ指摘できませんが、結果としてどうにも思わしくないこともあります。当工房の技術ととれるリスクの限界です。


続いて文字盤と針の取り付けに進みます。針は青焼きのブルースチールですが、文字盤はなんと18金製です。ズシリと重く厚みがあり、ムーブメントより重いんじゃないかと思ったくらいです。こういうものを満足に思うがまま整備できる時計師はごくごく限られた人数しかおりません。


表面にはギローチェ模様が彫られています。私が上海で時計修理の修行をしていたとき、仕事休みの日には市内中の高級ブティックめぐりをしていました。ブレゲの旗艦店もあり、そこにはかつてブレゲの工房で実際に使われていた文字盤に模様を彫る機械が展示されていました。入口付近にディスプレイされていましたが、ビリヤード台ほどの大きさがあって、複雑な機械で構成された鉄の塊が威風を放っておりました。アジア地域ではその店だけにしか置いていないそうです。当然日本にはありません。中国の市場価値を見せつけられたようで忸怩たる思いがしたのを覚えています。ブレゲでは今なお、その機械を使っていた当時と同じ工程を経て文字盤の彫り込みを行っているそうです。それにしても、総ガラス張りのゆったりとしたスペースの店の立派さと、白い手袋でブラックスーツにキメたドアマンが開いてくれた扉を通るときの気分のいいこと!(夢のような空間でした)


ケーシングまで来ました。傷をつけたり破損させることもなく、今回もなんとか無事にオーバーホールは成功です。回転ローターの小傷だけはもともとあったのでこれはやむなし。こんな立派な時計を当工房のような田舎の無名店に預けてくださる御大尽がいらっしゃる限りは、日本もまだまだ捨てたものでもないかも知れません。

それにしても、なんとなく胸騒ぎがするのです。直下型地震と南海トラフが引き金になって10年後にはもはや今日の繁栄の面影がすっかり消えて、世の中は色を失っていはしまいかと。


最終特性

左上)文字盤上 振り角 216° 歩度 +010 sec/day

右上)文字盤下 振り角 211° 歩度 +008 sec/day

左下1) 3時下 振り角 187° 歩度 +001 sec/day

左下2)12時下 振り角 190° 歩度 -001 sec/day

右下3) 3時上 振り角 200° 歩度 +001 sec/day

右下4)12時上 振り角 190° 歩度 +008 sec/day

整備勘のない超高級品につき、大事に分解掃除のみに徹したためか、あまり分解前と比べて性能の回復がはっきりしない出来となりました。本来の性能を引き出すには何らかのパーツ交換などが必要かも知れません。何か私のまだ知らないコツのようなものがあるのかも知れません。ブレゲにはブレゲ専属の技術者でなければ分からない事がいくらでもあります。いずれにしても当工房の技術では今回の結果が限界であることを白状いたします。


ご利用の皆様へ。今後はこういった超高級品の受付は、工房主である私が自信を持っていじり倒せる経験のあるお品に絞っていくつもりでおります。身の丈にあった商売を細々とやって、できる範囲でお役にたちたい所存です。今後ともアトリエ・ドゥをどうぞ宜しくお願い申し上げます。