Eterna Madison

Eterna Madison

エテルナのマディソンのオーバーホールご依頼です。この4月に未使用品として通販で購入したそうです。時計師視点で客に忖度のない評価をやって欲しい旨のご要望があり、いつにもまして歯に衣着せずにまいりたいと思います。


エテルナ・マディソン

ブログ掲載オプションのみならず、外装研磨サービスまで気前よくお申し込みいただきました。まだ購入したばかりにもかかわらず、すでにご使用傷と思われる若干の小キズがみられます。しかし、全体としてはまだ新しく綺麗で、ここの傷だけ落とすために全体を磨き直すのは、せっかくの新品の雰囲気も損なわれてしまうので見送りとさせていただきました。

よく誤解されておりますが、時計修理などアフターサービス側で提供するポリッシングなどの研磨サービスは、メーカーが新品を仕上げるときの設備ややり方とは必ずしも同じではありません。むしろ全く別のプロセスにより行われます。そのため、研磨すれば新品と同じように戻せると考えるのは早計です。そういうふうに謳っている業者は、現にメーカー勤務も可能な(経験のある)専門の研磨職人を雇っていて、設備も整っているような特別な店です。ウチはそうじゃないんですよ。違うんですよ、とわざわざ研磨サービスのためだけに詳しくページも作ってリンクも料金のところからジャンプできるように目立つようにしているつもりなんですが、なぜかたまに無視されたかのような外装研磨のご依頼をいただきます。うーん。よろしくお願いします。

ウチの外装研磨サービスは、もう何年も使い込んで、傷だらけなので、少しでも見た目をアレしてマシにしたい、という方向けの程度のものですから。ご期待いただくのはすごく嬉しいのですが、裏切る結果となっては悲しいので正直に書いておきます。

追記:2022年5月に外装研磨サービスは廃止され【すべておまかせコース】に統合いたしました。


さて前置き長くなりました。いつもの歩度測定から。全巻きで振りは最大290度ほどと、新品らしく元気いっぱいです。ところが、元気がよすぎて(?)歩度の最大姿勢差まで最小+1〜最大+17と、Δ16秒もあり、コイツはちょいといただけません。姿勢差の大きな時計は、使い方や人によって全然違う結果(日差)となって現れます。今日は1秒しか進まなかったのに明日は17秒も進んだよ、ということが起こり得ることを意味しております。これこそ時計師のなんとかすべき仕事です。見た目をピカピカにするのは研磨師さんの仕事です。(しつこい)


ムーブメントを分解していきます。エテルナ(Eterna)は、一般にはあまり知られておりませんが、実はスイスの時計業界では有名なブランドです。現エタ(ETA)を作ったのはエテルナ社だと言えば、その歴史やすごさが少しお分りいただけるでしょうか。そうなんです。実は大ヒットした超メジャーなエボーシュ、ETA2824もETA2892も、元をたどっていくとエテルナが開発した機械なんです。その後紆余曲折ありまして、結局は今日のETAはスウォッチ・グループの傘下組織という位置付けで、エテルナ社もその後クォーツ・ショックによる低迷で他社資本に買収されたりなどで、現在のETAとは資本的に直接の関係のない別企業となっています。


地板にバランスを組んでの調整です。緩急針を中心に見立てて左右シンメトリックな配置となるように受けがデザインされています。ありそうで、こういうバランスはちょっと他にはなかったと思います。エボーシュ・メーカーとしての確かな技術あればこその発展形で、遊び心を感じさせます。思いつきだけで簡単に真似できるものではありません。


ひげぜんまいの調整は、さまざまに角度を変えて見る必要があります。受けのデザインを優先したため、これは時計師的には実はすこしやりにくい点です。ひげぜんまいの通るアオリの調整などがこのように上方から覗き込むようにしなければならず、クリティカルな調整がむずかしいものになっています。


バランスを外して受けを裏返したところ。このようにひげをはずして受けだけにしてしまえば、もちろん精密な調整もできるにはできますが。ヒゲ棒とひげの接する部分はまっすぐに、平行でなければならない。教科書にはそう書いてあります。しかし実際には製造の制約などで、ヒゲ棒が生え際から端までまっすぐ『I』の字とは限りません。ゆる〜い『S』字カーブを調整して、ひげの当たる部分だけはきっちりまっすぐになるようにピンセットなどの技を使って直します。これも頭で分かっていてもやらない職人が多い。とある後輩と酒飲み席でヒゲ棒の話になり、彼はこう言っておりました。

「え〜。ヒゲ棒なんていじりませんよ。だって折れちゃったらどうするんですか?

と。これが本音です。私は彼を責めませんでした。一応彼の名誉のために言っておくと、同じWOSTEPコースを優秀な成績により出ている仲間なんです。その彼からしてこれですから。性格的なものもあるかも知れませんが、やればできる腕を持っていても、損失を恐れてやらない、ということが多いのです。それほど繊細で難しい調整です。リスクを考えてやるべきですが、私は少しでも性能を引き出したい欲求を抑えられず、ついうっかりと手を出してしまうことも。(おかげで大損も多い)


かわってこちらはガンギ車を拡大したようす。表面に筋が走っているのが分かりますでしょうか。これは切削跡です。機械を使って大量生産している量産品はこんな感じです。国産メーカーの60年〜70年代頃の、なぜかマニアに人気の時計群のパーツもまんまこんな感じです。お客様のご依頼の投稿でそれやったら嫌がらせかと思われちゃうので過去ウチのブログでこんな話は書きませんでしたが。ここで暴露しておきます。職人が手仕上げの超高級品の場合はこういうところも一点一点手抜かりなくピカピカに磨き上げてあります。人件費です。コストの裏には必ずこうした違いがあります。安くて見た目も完璧で性能も良くて、なんて都合のよい機械はありません。


輪列受けのようす。『5BALL-BEARINGS』とわざわざ銘打っているのは意味があります。実はボールベアリングを時計のムーブメントに応用してはじめて使ったのはエテルナ社です。パイオニアとしての技術アピールというわけです。受け上面にはコート・ド・ジュネーブ模様が施され、見栄え良く仕上げてあります。ここも細かいところまで言わせていただくと、実は模様にもグレードが存在します。本式のさざ波模様は、表面がつるつるの真っ平です。『コート・ド・ジュネーブ風』の模様は見た目そっくりですが、表面がザラザラで本当に波打った表面になっています。ある意味ホンモノのさざ波なんですが、歴史的意味では偽物という。。ああこれもコストの関係です。受けの角も高級品はピカピカに磨いてありますが、これは梨地仕上げですね。

あんまり忌憚なく書きすぎて夜道が歩けなくなる前にこの辺で。


地板に輪列をならべたところ。香箱からバランスに続く縦のラインを強調したデザイン。香箱やバランスは可能な限り大きくするのがかつての昔はセオリーでした。今ではコンピューターによる詳細な計算に基づく設計や、材料の加工精度の向上などにより、より進化した理論をもちいた機械式時計のつくりも隔世の感があります。歯車などに余裕の感じられる配置となっているのが見て取れます。伝統的なスイスの時計づくりの良さもコストの関係でまったく同じ手間暇とはいかずとも、上手に現代風にアレンジしたもので、随所にその名残をとどめていると申しましょうか。

(フォロー。)


輪列の受けを組んでいく途中のようす。掛け値なしに「すげー」と思ったのは、なんとネジがすべて本青焼きです。手作りに近いラインの場合は数が出ませんので、だいたいネジも手作業に近いような昔ながらの工程で作りますから、よほどに高級品でもない限りは採用されません。これはおそらくですが、青焼きネジを量産できる専用の設備で製造していると思われます。エントリークラスの製品のネジは、青焼き風の塗装ネジがほとんどです。これだけ派手に本青焼きネジを使っているのは、マニュファクチュールと呼ばれるジャガー・ルクルトやジラール・ペルゴなど、やはりいずれも優れたエボーシュ・メーカーとしての側面も合わせ持ったブランドの高級品ばかりです。今回のモデルが属する価格帯の他社製品ではまず見られない異例の仕様です。


アンクルと受けまで組んだところ。この上に乗るバランスがデザイン重視で調整しにくいものの、アンクルの脱進器まわりはごくごくスイス式の伝統に沿ったもので、見やすく調整のしやすいつくり。個体によってはここも調整のしがいのある所(=とんでもなくデタラメなことも)ですが、今回はかみ合い量などのチェックのみで問題なく注油も行って次へと進みます。


ムーブメントの組み上げが完成したところ。美しい。ネジを本青焼きにしているためか、上級機ゆずりの高級感の演出に見事に成功していると思います。なんだかんだ言いつつ、やっぱりスイスの機械式時計はいいものだ。うん。


文字盤と剣つけ。素人目にはぐるぐる回りそうに見える窓は、香箱のゼンマイの一部とエテルナご自慢のベアリングによる駆動をアピールしたマニアックなもの。チラ見せ系。「なんだ回らねーのかよ」なんて言っちゃダメ。分かってないなあ、と反撃を食らうこと必至。どちらかというと通向けなもので、そういう美学なんだと割り切っていただきたい。


ケーシングまできました。通称裏スケで、ムーブメントの美しいつくりや動きをじっくりとご堪能いただけます。実はこの機械を担当したのは今回が初めてでした。コスパという言葉は個人的にあまり好きではないんですが、なんと言いますか、そういう点で「うまいなあ」と感心させられました。お値段を抑えつつ、自分たちの誇れる技術はしっかり活かされているお値打ちマシーンではないでしょうか。エテルナはん、やりおるわ。


最終特性 (全巻き)

左上)文字盤上 振り角 305° 歩度 +009 sec/day

右上)文字盤下 振り角 300° 歩度 +009 sec/day

左下1) 3時下 振り角 268° 歩度 +008 sec/day

左下2)12時下 振り角 268° 歩度 +010 sec/day

右下3) 3時上 振り角 264° 歩度 +002 sec/day

右下4)12時上 振り角 276° 歩度 +000 sec/day

分解前にあった姿勢差(16秒)は、時計師のお仕事により0〜10秒まで最大姿勢差Δ10秒にまで押さえ込まれましたトサ。めでたし、めでたし。

プラスマイナス5秒以内なら、まあギリギリですがクロノメーター級と称しても良いかもしれません。ちょいとこいつはまともに取り扱える時計師を選びますナ。そういう意味でもマニアな一品だったと思います。(実はご依頼主はこれが人生初の機械式時計とのこと。末恐ろしや。)

今回の該当コース:【 オーバーホールコース 】