Vacheron Constantin

Vacheron Constantin Ref.43039/000J

ヴァシュロン・コンスタンタンのシャンベランのオーバーホールと、外装研磨サービスのご依頼です。なお、オーバーホールコースでは通常は外装研磨サービスを行っておりませんが、今回は修理事例として掲載させていただいたお礼として、また本研磨ではなく仕上げ用のバフを軽くかけるだけでも十分な効果が期待できることが見込まれたため、軽いポリッシュを行いました。このあたりの実施判断はケース・バイ・ケースです。なんでもかんでも事務的に型で押したような対応をしているのではありません。


ヴァシュロン・コンスタンタン

分解前の歩度測定から。振り角は十分に出ており、姿勢差が若干ありますが、まずまずといったところ。


ムーブメントを分解してパーツを洗浄しました。特に交換が必要と思われる状態のパーツも見当たらず、オーバーホールのみにて進行可能です。ヴァシュロンといえば世界の最高峰と目される一角をなす時計ブランドの雄でもあり、汎用品のように量産されておらず昔ながらの手作りに近い工程で作られております。そのためパーツ交換が必要な場合は当工房では入手できないものです。このモデル(シャンベラン)は限定200本ということもあり、交換するパーツによってはスイス本国送りとなります。そういった場合は、メンテ費用だけで新品の時計が買えるほどになると思います。あちらでは、だいたい定価の10%になるのは常識です。200万の時計なら整備費用は20万です。そこにパーツ代が乗ります。


パーツを拡大したようす。高級品らしい丹念な仕上げが施されています。ヴァシュロン・コンスタンタンは、創業(1755年)から現在までずっと営業が続いている時計ブランドとしては、世界最古の歴史を誇るそうです。我が国でいえば、創業が江戸時代という老舗です。


バランスを組んで、ひげぜんまいの具合などを調整します。バランス受けの手前に写り込んでいる赤いルビーのパーツが目立つ機構は、自動巻ローター(回転錘)を滑らかに回すためのガイド・ローラーです。地板のフチ4箇所に設けられており、ローターのレールと噛み合います。このモデルが発表された当時、自動巻機構を搭載するムーブメントとしては、世界最薄のものだそうです。薄さで強度が不足する部分を補っているわけですが、アイディアも良いですし、この時計のラグジュアリーなコンセプトにもぴったりです。


ひげぜんまいは見る角度を変えながら、調整を追い込んでいきます。2本のヒゲ棒の間をすり抜ける外端カーブをみているところ。緩急針を手前や奥に動かしても、バランスの静止状態では2本のヒゲ棒のどちらにも触れず、常にその中央にひげぜんまいが通っているようなカーブに調整することが理想です。実際にはそういう状態のひげぜんまいが修理の現場に来ることはまずありません。使用の年月にともなって、ひげぜんまいは伸びたり縮んたりして形が微妙に変形してくるのです。それを製造時の理想的な状態に近づけるよう再調整するわけなのですが、いざピンセットでつかんで、どこにどれ位の力をかければ良いのか、、、。これは経験と勘だけが頼りの技です。やってみれば分かりますが、針金状の板を人間の手の感覚で曲げて、幾何学的に完璧な形を生み出すことはたいへん至難です。


地板の表輪列を組んでいくところ。巻き上げ機構の配置が見やすく、パーツもよく練られた形状をしています。基本的なパーツの役割などはどの時計ブランドが作ってもある程度は共通しているのですが、それぞれ微妙に個性が違います。ヴァシュロンの巻き上げ機構はヨークとヨークスプリングに相当するところを、コの字型に切れ込みを入れたバネが担っており、これは他で見られないものです。力の伝わるポイントなどを追っていくと、ブランドの考え方が見えてきたりして、そういう視点で時計を見るのも楽しいです。


裏輪列を組んでいきます。薄型化するために自動巻機構は2階建にはせず、輪列の歯車と同じ高さにすべて収めています。このため、かなり立て込んでいますが、ほとんどを1枚の輪列受けで挟みこみます。よほどにパーツの加工精度が良くなければ、これは採用できない設計です。各歯車がまっすぐ穴石の上に直立して静止するような安定感がないと、受けを組むことさえままならなくなります。


輪列の歯車群を拡大したようす。細部に至るまで仕上げが徹底して施されていることがわかります。機械としての役目を果たすためのホゾの加工などが理想的で完璧であることに加えて、パーツ表面の装飾などにも最大限の意匠が凝らされております。とにかく「やれることは全てやる」という強い意志が感じられます。こういう機械を目の前にすると、いつもながら背筋が伸びます。この時計を作った時計師たちの情熱に応えなければならない。自然とそういう気持ちになるものです。


輪列の受けを組んだところ。ガンギ車と4番車の2箇所のみ独立した小島の受けになっていますが、残りは香箱と共に一受けとなっています。香箱は懸垂型のため、地板のほうは丸い穴がスッポリと空いているだけです。これも薄型を実現するための機構ですが、ヴァシュロンは懐中時計時代から業界をリードする数々の機構を発明して採用し続けてきた実績のあるブランドです。今回の時計にもブランドで培われたノウハウを遺憾なく発揮したものと思いますし、これもなかなか他のメーカーでは真似ができないところでしょう。


輪列の組み立てのつぎは、脱進器へとすすみます。脱進器を構成するガンギ車とアンクルを拡大したようす。アンクルのツメ石は、上面にアールがつけられています。直接性能に影響するわけではありませんが、とにかく手間を惜しまずに作られております。これでもか、というほどに。ガンギ車も歯の部分がフラットではなく、丸く湾曲して盛り上がっており、これも意図は不明ですが加工はさぞかし大変で、しかも歯とツメ石の接する面は精度が完璧でなければなりませんから、相当な気合の入れようです。


アンクルを組んで、エスケープメントの調整です。ガンギの歯がアンクルのツメ石に落ちると、「コッチン」と音がします。時計の刻音は、まさにこの機構が発する音です。輪列から伝わるエネルギーは即座にアンクルを作動させ、バランスの振り座へと力を伝えることで時計を動かし続けます。バランスは輪列から受け取ったエネルギーで往復回転運動しつつ、そのリズムを時計の針を動かすタイミングとして脱進器へと送り返します。時計の歯車は脱進器を介したバランスの生み出すタイミングに基づいて、正確に時を刻むのです。脱進器はこの輪列からの力の受け渡しと、バランスの動作する周期的なタイミングを相互に橋渡しを行い、その両方を同時に実現させるための機構です。


脱進器を真上からみたところ。ガンギの歯とアンクルのツメ石の噛み合いをチェックします。この部分は非常にシビアな調整が要求されます。ただ単に噛み合ってさえいれば良いというわけではありません。ツメ石と歯の噛み合う理想的とされる絶対量は、ムーブメントの設計ごとに全て異なりますので、一律ではありません。時計師は現物のみを頼りに、ツメ石の位置などを動かしてガンギ歯との噛み合い量を調整します。その量は、ほんの1/100mmであっても性能が変化するほどに微妙なものです。大きくても5/100mmを超えるような再調整はまれです。通常は製造時に固定された量から変更することはありませんが、きわめて微妙な量であることから、やはり何らかの原因でムーブメントやパーツに変形させる力などが加わったり、経年の摩耗の度合いによっては、再調整が必要になる場合があります。ここにも時計師は常に目を光らせて、異常とみるや直ちに修正する能力が求められます。


バランスまで組んで、ベースムーブメントの完成です。流れはいつも同じでも、時計はひとつひとつの状態がすべて異なります。それぞれに合った調整を、その時計にふさわしい方法で、手入れをしなければなりません。単純なようで奥が深く、毎回違うドラマがそこにはあります。いつも同じような事をやっているようでいて、飽きるということがありません。また、これで最後という終わりもありません。常にずっと時計たちとの対話が続いているのです。


ベースムーブメントの測定。全体的に振り角があがっています。姿勢差は取りきれずまだ少し残っていますが、こちらも分解前よりは差が縮まっており、良い方向へと結果が出ています。手慣れない一期一会に近いこういう高級品は、毎回ながらどこまで手入れをして攻めるかが難しいです。汎用ムーブメントのように、どこをどうしてやれば理想的な性能になるのかを知り尽くすには、数をこなさねばなりません。今回の結果で至らなかった部分や、期待どおりに行かなかったところは、明日への宿題です。


ベースムーブメントが順調につき、文字盤と針をつけます。この部分は特に変わったようすもなく、シンプルな顔立ちだと思います。このため、腕に巻いた状態からはあまり目立たない無難なドレスウォッチの表情です。そんじょそこいらの時計とは格が違うお品ですが、変な主張をしないところが上品でオトナの時計です。


針を真横からみたようす。まっすぐに間隔よく取り付けできています。インデックスとの高さのバランスもばっちりです。ムーブメントにはすでに自動巻のローターまで取り付けしてありますが、リュウズの径と比べても、その薄さがわかると思います。手巻きでこの薄さはめずらしくないですが、自動巻ではちょっとあり得ないサイズ感です。


ケーシングしたところ。ケース本体のほうは研磨済みです。ビニールなどで養生しながら組み立てますが、ムーブメントは薄いわ、ケースは18金だわで、機械にも変な力を加えたら曲がってしまうし、金は少しでも何かを擦れば傷がつきますから、両方に細心の注意を払いながら組み立てる作業になります。非常に気が張り詰める瞬間のひとつでした。


最終特性

左上)文字盤上 振り角 325° 歩度 +012 sec/day

右上)文字盤下 振り角 309° 歩度 +010 sec/day

左下1) 3時下 振り角 295° 歩度 +001 sec/day

左下2)12時下 振り角 286° 歩度 +012 sec/day

右下3) 3時上 振り角 291° 歩度 +009 sec/day

右下4)12時上 振り角 297° 歩度 +003 sec/day

薄型ムーブメントのため、組み上げの巧拙により機械にわずかな歪みでも加われば性能にも影響が出ます。特性データを見る限り、どうやら大丈夫のようです。十分な振り角が出ており、歩度もほぼクロノメーターと言ってよい範囲に入っております。技能の低い職人が組んでムーブメントがどこか曲がったりしたら、もうこの性能は出なくなります。そして、そうなってからではどんなに腕の良い職人でもたぶんもう直せません。どこを見ても問題ないように『見える』が、組むと性能がでない。そういう時計はわずかにどこかが変形していたり、その部分がどこなのか、後からではもう分かりません。私でも無理です。(どこへ持っていっても性能が戻らない謎の時計になります。壊したのはダメ職人です)薄型ムーブメントは難しいです。ネジ1本の締め加減まで気を使います。それほどに機械式時計は繊細です。このモデルは持ち主のみならず担当する職人までをも選びます。このような時計をお任せいただけることは、時計師として光栄なことです。


歩度測定はビニールぐるぐる巻きのケース本体のみで行い、ベルトは最後に取り付けました。いつもはベルトも付けてから測定しますが、ここでも不測の事態を避けるべく、用心をしました。


裏面からみたところ。シースルーバック・ケースで、内部ムーブメントのようすが鑑賞できます。


ローターの透かし掘り部分などがとても厚みが薄く繊細です。強度は従来型をそのまま踏襲した設計では、おそらく早晩スポークなどが曲がってきてしまってすぐ駄目になったと思います。そのためにローターにレールをかませて、ルビーのガイド上を走らせる機構になっています。受けの4箇所のガイドが絶妙な支えになることで、薄いローターの構造に対して不釣り合いなほどの重りをつけても、耐久性を合わせもつ回転錘として動作させ続けることを可能にしています。技ありです。さすがは世界最古の時計ブランドの作った特別なお品だと言えましょう。技術と美的センスの巧みな融合には舌を巻かずにおれません。


研磨前(上)研磨後(下)


研磨前(左)研磨後(右)


完成

実施コース:【 オーバーホールコース 】


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