ゼニス・エルプリメロ

Zenith El-Primero ref.03.0520.401

ゼニスのエル・プリメロのオーバーホールご依頼です。4年ほど前に他店にてオーバーホールを行なっていて、今回リュウズに違和感があるとのこと。『ブログ掲載オプション』のお申し込みではなかったのですが、エル・プリメロは70年代ごろ製造された古い事例しか当ブログになかったため、また良い機械でもあり、これを見て同じ機械のご依頼が来ることは当工房としても大歓迎なので、ピックアップ投稿として採用させていただきました。


エル・プリメロ グランドデイト

分解前の測定から。振りは全姿勢で問題ないものの、3時下と12時上で遅れが目立ちます。とりわけ12時上では−7秒であり、最大進みの文字盤上+9秒とは実に16秒差(Δ16秒)があります。これは今回なんとかしたいところ。


内部を分解していきます。リュウズの違和感ですが、裏押さえがきちんとオシドリのピンにはまっておりません。やや。これはどこか来た道。


裏押さえを取り外したところ。レバーの根元にヒビが入って折れてしまっています。過去にもエルプリメロで全く同じ不具合の故障のご依頼をブログに載せておりますが、この機械ではどうも壊れやすい部分のようです。


以前の修理と同様、今回も新しい裏押さえに交換します。ほとんどリコール相当ではないか?と思われる位、機械によっては同じ箇所ばかりが壊れることもあるのですが、エルプリメロではカレンダーのバネなどが過去数度にわたってバージョン・アップされたりしていて、ゼニスのほうでもダメとなったら手を打つつもりではいるようです。裏押さえについてはエル・プリメロに限らず、機械式時計全般的に壊れやすいパーツのひとつでもあり、様子見ということでしょうか。


こちらは切替車を取り外したところ。案の定、このパーツにはお約束の赤サビを吹いておりました。これは綺麗に取り除いても再利用できる時とできない時があります。今回もなんとか交換は免れるレベルでした。もし交換するとパーツ上代は3万円前後になります。当工房のクロノグラフ・オーバーホール費用と同じです。

私が上海で修行中だった頃にゼニス本社からトレーナーがやってきて、このパーツの正しい注油方法などプチ講習を受けたことがあります。メーカーが発表するムーブメントの組み立て&注油箇所を記した指示書だけを見ても分かりにくかった点が、スッキリと解決しました。そういう機会に恵まれない時計師が組むと、注油しなかったり方法が間違っていたりして、結果このような赤サビの餌食となったりします。やはりメーカー専属の時計師でなければ知らないノウハウなどがあるのです。


バランスを取り外して裏返したところ。バネ棒のキャップを回してひげぜんまいを受けから抜き取る途中のようす。幸いヒゲはおかしな弄られ方はされておらず、よく製造時のシェイプが保たれており、洗浄とわずかな修正のみで済みました。

ここも時計師によっては余計なことをしてくれる部分の筆頭で、ヒゲが壊されているともうどうにもならない事も。過去に別の店でオーバーホールして、なんか具合が悪くなって、それで今回たまたまウチに来たというパターンにおいては、戦々恐々とする箇所です。せっかくウチに期待していただいても、前回の手入れがあまりに悪いと挽回できないことがあるためです。


洗浄後に組み直してヒゲ具合をみていきます。最近好きなヒゲ棒ネタです。2本のヒゲ棒の間を、ひげぜんまいが通ります。よく見ると、ごくごくわずかな隙間があって、光の筋が見えることがお分かりになると思います。(この部分にうまくピント合わせるのにエライ苦労しました)これが時計師の見ているヒゲ棒とひげぜんまいの関係です。もう片方の右側の隙間はひげ自身の影に隠れてこの角度からは見えませんが、もちろん同じ量の隙間がわずかに空いております。ひげは2本のヒゲ棒のいずれにも触れておりません。必ず中央にあること。そして、緩急針を前後に動かしても、中央にあり続けること。(これがメチャクチャ難題です)

そういうカーブであることが理想であり、そうなってなければ直します。文字で書くと実に簡単。実際にやると「そんなの不可能だ〜!」と発狂して叫びたくなります。それを乗り越えて、時計師が生まれていきます。ふむふむ。


バランスを上から眺める。緩急針のカーブは外端カーブと呼ばれます。内側のカーブは内端カーブ。ここは数学的に完璧なアルキメデス・スパイラルを描いてなければなりません。幾何学づくしの、精密づくし。どこまでもどこまでも、ひたすら理想の形を求めます。毎回毎回やってて飽きないか?

飽きませんねえ。むしろ、こういう作業が好きな性分でして。ストイックにどこまでも追い込んでいって、ひたすら静寂な時が流れていきます。「これで相成った」という瞬間に、ふぅ〜ッと息とともに魂まで背中から何処の彼方へと抜けていくような感覚がきて、ああ出来た♪と満足するのがたまらないんです。向いているんでしょうねえ。この仕事が。


ムーブメントの分解および洗浄が完了したところ。エル・プリメロは10振動(=毎時36,000振動)であるため、ゼンマイは太く厚みがあります。このため、曲げ圧力などに耐えきれず、ゼンマイが切れてしまいやすい弱点もあります。今回ご依頼のこの時計も、過去に2度もゼンマイ切れで修理したそうです。2度はちょっと多いような気もします。ご使用者側で気をつけるべきこととしては、あまり手動でゼンマイを巻かないことです。手巻き時計ならば仕方ないですが、エルプリメロは自動巻きですから本来は手で巻くように適した構造をしておりません。一応は手でも巻けますよ、という作りです。エル・プリメロで故障が多いユーザーの方。必要以上に手巻きしていないか、今一度ご自身の使い方を見直してみてください。

なに、手巻きしないと止まる?

それは、オーバーホールの頃合いです。すぐに当工房にご依頼ください。笑


ゼンマイを香箱に収めて注油しなおしました。太く強いバネと同じなので、気持ちグリスを多めにしているほかは、通常のやり方と変わりはありません。油が切れてくると、過大な力が溜まりやすく、やはりゼンマイが切れやすくなることも覚えておきたいポイントです。定期メンテナンスを怠れば、すぐにあちこち壊れて、しかもパーツ代が高くつくのがエル・プリメロの隠れた(?)もうひとつの特徴です。


香箱のフタを閉じて、クルクルと回転させてみたりして、おかしなところがないかよくチェックします。歯の状態などもなんとなく見ます。(欠けや変形があれば、即座に気がつきます)見てないようで、見てます。これ、良い時計師。見ているようで、見ていない。これ、ダメなやつ。


ベースムーブメントを組んでいくようす。あまりパーツの細部までは装飾などされてはいないものの、必要な部分をしっかり作ってあるよという塩梅。エントリーでもなければハイエンドでもない。ミドルクラスのお手本のような仕上げ。


輪列受けと、クロノグラフ中間車(出車)にアンクル(脱進器)まで組んだところ。クロノグラフという構造上、どうしても2階建部分にはいろいろなパーツがひしめき合うため、ベースの部分が後からでは見辛くなります。


アンクルのツメ石は、入り爪・出爪ともに全体を鮮明にガンギ歯との噛み合い量をチェックすることができます。アンクルの真上には、クロノグラフ・ランナー用の押さえバネや、4番車・中間出車の一部が差し掛かりつつも、そのアミダの隙間などからピンポイントにツメ石部分が筒抜けに見えるよう作られているのです。きちんと時計師目線で組み立て整備しやすいこと。当然ながら性能を追求・保守しやすく、いつまでも長く使う時計だからこそを意識した構造です。どういうつもりで機械を設計しているのか、こういうところに差が出ちゃうんです。(世界で認められるかどうかは、こういうところだよ!)


ベースムーブメントまで組み上げたところ。


クロノグラフ部分まで組み込みました。ネジなどは比較的痛みが少なく、整備傷なども目立つものは少ない。まずまずそれなりの心得のあるところでメンテナンスされていたようですが、決定的にダメだったのはクロノグラフを動作させると、振り角が軒並み50度以上落ちてしまったこと。分かっているようで、分かっていない時計師が組むと、ちぐはぐな出来になります。何が原因だったのか?

教えない。笑(むふふ)


こちらは表側カレンダーを組んだところ。ビッグデイトは2枚のディスクをメモリにより作動させて01〜31日まで31パターンを表現するタイプ。右ディスクの3が2つあるのは、おそらく5角形にすることでエネルギーロスを小さくし、回転のために時計の歩度に悪影響を与えないようにするためと推測される。回転最小角度を360/5=72度とするか、360/4=90度にするかで、歯車を回転させるエネルギーが大きく異なる点に注目。芸が細かい。


文字盤と針をつけたところ。精悍な顔立ち。カレンダーはさすがにビッグデイトだけあって、見やすいです。ここも実は分解前は微妙に窓からズレたりしていて、破綻しかけていました。もちろんピシャリと窓に合うように微調整済み。こういうところも手抜かりなく整備したいものです。


ケーシングまで来ました。ケースのご使用キズが年月を感じさせますが、目立つほどの大きなキズはなく、大切にお使いになっている様子がわかります。少々の小キズは貫禄というものです。なんでもすぐ磨いてピカピカにしたがる方がいますが、研磨なんかやらないほうがいいですよ。使えばまたすぐキズがつくうえ、なんとなくオリジナルとは違う雰囲気になってしまって、余計にカッコ悪くなることが多いです。


まずクロノグラフOFFの特性から。分解前にあったΔ16秒の差は、結局埋めることができず。手は尽くしましたが、いまひとつ望んだ方向に改善しないこともあります。10振動ということもあり、相当年月にわたってお使いになってきたものは、バランスの天真などが摩耗してきているのかも知れません。摩耗といっても1/100mmとかの世界の話ですから、顕微鏡で拡大してもようやく目で認識できるかどうか微妙な量です。時計は精密ですから、そのわずかな摩耗や変形などでも、最高性能には届かなくなります。キズ見で時計師が見て分からない程度のものでも、性能に影響を及ぼすものなのです。


最終特性 クロノグラフON

左上)文字盤上 振り角 261° 歩度 +005 sec/day

右上)文字盤下 振り角 262° 歩度 +005 sec/day

左下1) 3時下 振り角 254° 歩度 +003 sec/day

左下2)12時下 振り角 247° 歩度 +007 sec/day

右下3) 3時上 振り角 239° 歩度 +000 sec/day

右下4)12時上 振り角 243° 歩度 +002 sec/day

むしろ今回の面目躍如はクロノグラフONの特性で、これは全体が0〜7秒以内に入っていますので、かなり好ましい特性です。また、実測の結果も日差は数秒以内の進みとなり、タイムグラファーの出す数値に近い結果が出ております。素性のよい機械は、最終的な調整もやりやすく楽ができます。もちろんそれはやるべき作業をやった上で得られる性能に支えられているからでもありますが。

今回の結果からは、クロノグラフOFF時のバランス振り角が高すぎるのではないか?ということを示唆しているようにも思えます。振り角を落とす調整はクレームになりかねず、歩度や機械の寿命のために良くても手を出しにくい。それに振り角が高いほど外乱などに強く安定動作するのも事実。エルプリメロも技術仕様書など見ると実効振り角は260度に設定されているものの、修理の現場で見る現行品はほとんど300度に調整されております。設計当時の技術者の考えと、今現在のメーカーの思惑や認識が変化していることもあります。この辺もどちら寄りの調整をするかは時計師次第です。技術部長みたいな人がいて命令される立場では指示に従ってさえいれば良いわけですが、たとえニワトリでも嘴であるからには自分で考えて判断せねばなりません。

こういうとき、持ち主が「クロノONしているほうが、OFFにしているときより調子いいみたい」のように、何気ない一言をいただけると、ヒントになるという訳です。殿、クロノONしっぱなしは機械のためによくありませぬぞ、などと意見するはまた別のお話。そそくさと勇気を得て振り角落としに走るかどうかは、また2回目以降のホーバーホール時にでも。さてこの時計はどうなるのかしらん。