ジャガールクルト・マスター リザーブ ド マルシェ デイト

Jaeger LeCoultre 140.8.38.S

10年落ちの中古品を買ったとの事で、オーバーホールのご依頼です。この手のものは、正常動作することが受付の大前提です。見積もりの結果、当工房で入手できない交換パーツが必要となればご返却となります。今回はパワーリザーブ機能のついた時計をあまりご紹介できてなかったので、ピックアップ投稿です。中古品の購入をすすめるものではございませんのであしからず。

2020東京オリンピック開催記念〜工房主が時計師になるまで 特別号】


ジャガールクルト・マスター リザーブ ド マルシェ デイト

3つの小窓のうち左上がパワーリザーブです。残り時間を数字で示しています。全巻きだと約44時間程度の動作と思われます。24時間経過後のいわゆる“半巻き”が、ちょうど真ん中の『20』の目盛りあたりになります。この半巻きと全巻きでいったい何が違うのか。それを測定器(タイムグラファー)にかけて見ていきます。


まず、全巻きの特性から。振り角は平姿勢でいずれも280度。縦姿勢では230〜240度前後まで振っています。歩度は平姿勢では最大+10秒/日ですが、縦姿勢ではそれぞれー6〜ー16秒程度までとバラツキがあり、遅れになっています。


こちらは半巻きの特性です。振り角は平姿勢で200度以下。縦姿勢にいたっては140〜150度あたりまで落ちてしまっています。これでは、ちょっとした衝撃によりバランスが停止してもおかしくないほど、振りは弱い状態です。歩度もさらに遅れて、最大ー66秒まで遅れる姿勢が出てきています。ちょっとこれでは日常の実使用には耐えられず、時計は常に遅れる動作となるでしょう。

、、、おいくらで買ったんでしょうかねぇ?


内部の機械を分解していきます。過去に全くメンテナンスされた形跡がなく、ネジの頭などはやたらとキレイです。シースルーバックですから、裏蓋を開けなくても裏からキズ見などで機械を見られますが、まるで新品のままのように見えます。中古店の店頭などで確認したって、ノーメンテかどうかなんか分かりっこないです。そういうものでも分解していけばどんどんボロが出てきます。

中古品はリスクだらけなんです。当工房ブログでも数多く具体的な事例をあげて注意を促してまいりました。たとえ直せたにせよ、新品の性能にはもう戻らないことも特性を示しながら。


輪列の2受けのようす。上は分解時、下は洗浄後。油はほとんど乾いており、汚れカスだけがこびりついております。

事情はわからないでもないです。これが新品で買えるなら誰だって苦労はしません。定価で買えば100万円位する時計ですから。それを例えばオークションで半額以下だったりしたら、すごくお買い得に感じる場合もあるかも知れない。それで当事者同士が満足なら、私のような第三者がとやかく言う話ではないのかも知れません。それにしても、ちょっとこれはヒドイなぁ。。と、思わず顔をしかめるような状態の時計が依頼されることも少なくありません。正規サービスセンターだったら、いくらとられるだろう?

ウチは私自身がいち時計ファンとして、「もっとメンテ安い店あったらいいのに」と思っていました。それが現在の料金で店をやっている理由のひとつでもあります。しかし、あんまり何でも安くやってあげてしまうと、かえってそうした中古時計の流通の手助けをすることになっているのかも知れない。難しい問題です。不幸にしてファースト・オーナーには捨てられたけれど、中古としてめぐりめぐって、大切に可愛がってくれるセカンド・オーナーに拾われるかも知れない。そのためにウチの店のようなニッチがあっていいと思うし、使う時計ファンがいて仕事があるうちはまだマシなのかも知れません。

時計を買ったはいいけれど、メンテナンス代がバカにならないことを後から知ったとか、持て余してしまったり、単に飽きてしまったり、まあ事情は人それぞれなのでしょうが、ともかく中古品として時計は売られ、第二の人生が始まるわけです。


続いて輪列1受け。わずかに油が残ったところと、完全に乾いてしまったところが混ざっています。カスが周囲にまで飛び散っております。こういう使い方をすると、歯車のホゾはどんどん痛んでいきます。受けは洗浄すればご覧のようにピカピカになりますが、磨り減った部分などはもう元には戻りません。

どうも、私自身の半生がそんな感じでして。元々はIT系のカスタマーサービスの仕事をしておりました。派遣社員という身分でしたが、某大手本社にいたことも。就職超氷河期などと言われた世代です。就職に失敗したクチで、4年制私大も中退。バイトなど非正規雇用で食いつなぎ、半ばプー太郎のようなブランクもありまくりで、自分探しが長かった。日本の雇用の現実は非常に冷たい。少しでもレールからこぼれ落ちると二度と復帰できないとは、各方面から指摘されている通りの実態。それを地で味わいました。ありがたいことに派遣先で正社員の登用のお話をいただいたこともある。しかし、すでに私は厳しい世の中の洗礼を受けて、企業はいざとなったら個人など助けてはくれないと、どこか冷めた目で見ていました。いまさら正社員になって会社に人生捧げるつもりもない。それが生きがいという人もいるだろうし、それが可能ならそういう生き方も否定はしません。私にはムリだったというだけの話であり、現にそういう時代でもなくなりつつあります。


これは小秒針がつく歯車を拡大したところ。テンションのバネが当たる部分にうっすらと赤サビが出ております。汚れカスが付近にも飛び散っています。油は完全に乾ききっておりました。わずかでも油が残っていれば状態は天と地ほども違います。こういう部分部分の積み重ねにより、冒頭のような激しい特性の落ち込みとなって性能の劣化として表れてきます。

私が若かったときは、派遣社員という生き方も悪くないと思いました。IT系は当時バブルで景気は良かった。下手な他業種の正社員と比べて手取り収入も大差はなかった。まだ20代だったこともあるでしょう。しかし、だんだん先が見えてきて。30代になったとき、この先40、50と自分が年齢を重ねていったときにどうなんだろうと。ちょっと今と同じ仕事できてるとは思えないな、と。

先の見通しがきかない中で、世の中に対する漠然とした不安のようなものもありました。IT系で仕事ができたのはたまたまパソコンスキルが人より少しあっただけ。ダイヤルアップ回線契約も多く、ユーザーはマウスの左クリックと右クリックの違いがわからない初心者ばかりという時代。電話越しに「では〜画面左下のスタートボタンを左クリックしてください〜」とかやってメシ食ってた。でも、こんなことはいずれ当たり前になり誰でもできる時代になる。そうなった時、私の存在価値ってなんなんだろう〜?

生活のために見つけた仕事だったが、都会の一人暮らしには十分な収入であり余裕が出てきた。夜間スクールで宅建の資格を取ったり、スポーツジムなどで泳いで身体を鍛えたり。はたまた休みの日は新しいショッピングモールに繰り出してお買い物を楽しんだり。この頃には彼女さんができたりもした。それなりに若き青春を謳歌しつつ、、だが心はどこか満たされない日々が続いた。なにか自分の人生はおかしい気がした。何もかも準備された東京という名前のステージ上で、踊らされている操り人形のような感じ。「できる」ということと、「やりたい」ということは違う。できることを仕事にすれば、安定はするだろう。周りからも評価され、昇進するかも知れない。その両方を満たせればベストだろうが、そうそう理想通りにいかないのが世の常だ。やりたい事はグッと我慢して、できる事をこなしてチャンスを伺う生き方もある。だが、それはある意味で自分を欺く行為であり、危険でもある。他人は騙せても、自分を騙し続けることはできない。やがて必ず破綻する。


小秒針の歯車を取り外した状態の地板のようす。穴石にも油は全く残っておらず。カスだらけ。

もうね、思い切ってゼロからやり直そうと。それで吹っ切れましたね。もともと手は器用で子供の頃から模型工作などが好きだった。図画工作とか美術系の教科では誰にも負けたことがない。絵画コンクールみたいなものは小学生の頃は常連で、唯一の特技でした。賞もいっぱいもらった。でも、美術系はなかなか具体的な職業には結びつかないと思います。絵や音楽で食えるなんて、ほんとに一握りですから。それで普通科の高校・大学と進学していって、すっかり遠回りしてしまった。世の中あまりにゼネラリストばかり育てようとする。私はスペシャリストだったわけです。一芸に秀でるタイプ。

手の器用さと、好きなことに熱中しているときの集中力は、我ながら尋常でないモノがあると思ってはいたので。先入観なく相当幅広く探して、なにか自分にできそうな仕事はないかなと。もちろん好きになれなくては一生は続かない。やりたいことでなくてはならない。それがたまたま時計修理だった。別に他の仕事でも良かったんです。なにがなんでも時計だとは思っていなかった。たまたま自分の持ち物で心惹かれるものが、当時すでに何本か持っていた機械式時計でした。

だいたいが人は物心ついて、自分の進むべき道なんかも自然と本能のうちに見出して決めるもの。今の自分の仕事は子供の頃からの夢だった、という人もいるでしょう。だが、少し言い訳させてもらえれば、今の世はあまりに情報が多い。必要不要含めて洪水のように事例が氾濫している。多くの人がうらやむロールモデルにバイアスがかかり、みんながその道を進もうとする。結果、おかしなことになる。どこかに歪みが出てくる。私はきっとその犠牲者だったのだと思う。なにもかも弁える判断力がつく大人になってから、子供時代に遡って自分と向き合う作業が必要になった。過去に自分のおかれた環境を一種のエラーとみて、それを検証しなおして修正する試みのような感じ。後付けの「やりたい」ことを見つけることほど難しいことはない。それは本来、自然と自己の内面から湧き上がるはずであるので。(笑)

30歳を超えた私は、10歳頃の少年の私に語りかける。

「ヒロタカくん、君はいったい何になりたいんだい?」


こちらは地板の輪列側のようす。油が残っているのは角穴駆動車とか2番車とか、1日にせいぜい数回転〜数十回転しかしない部分のみ。残りは全部乾ききっています。ガンギ車などは5振動の時計でも毎時600回転する計算です。過酷です。酷使であり虐待です。24時間で何万回転するのでしょう?1週間使ったら?1ヶ月使ったら?1年では??

、、、、ああ恐ろしい。

まるで油が切れたこの時計のように、私の人生もギクシャクとしたまま軌道修正ができず空回りし続けていたらと考えるとゾッとします。ボロボロに擦り切れてしまって、今頃生きていなかったかも知れません。


バランスを取り外したところ。耐震装置とバネ。バネはとれちゃいました。(よくある)

そして、東京にあった時計修理の職人を育てる学校の門をたたくこととなったのです。そこはスイスWOSTEPの提携校でもあり、国内にいながらにして外国の資格が得られることに魅力を感じた私は、吸い込まれるようにWOSTEPコースへ。この時の選択が後々、思いもよらなかった道へとつながってゆくことになります。

果たして、水を得た魚のごとく生まれ変わったか?

イヤイヤ、ようやく人生のスタートラインに立てたというのが真相。今にして思えば、ここからが本当の苦労の連続。でも、好きなことに熱中しているときのような一種独特の魔法がかかっていたのか。ツライとかやめたいとか思ったことはない。これまでの生き方とは違い、自ら意識して選んだ道でもありました。


分解したパーツをベンジンカップに入れて、ひとつづつ刷毛で丁寧に洗っていきます。全自動超音波洗浄機のような高価でランニングコストのかかるようなマシーンはウチにはございません。貧乏なこともありますが、それ以上に理由があります。私自身の時計師の経験として、ベンジン手洗いで落ちなかった汚れなどただの一度たりとも無かったこと。それに比して、超音波洗浄機を使っても落ちない油汚れというものはしばしば見られたこと。超音波洗浄機を使ったら、パーツが壊れてしまったことも数度。あれはクソ丈夫なムーブメントを、一人で1日に何個も組み上げるための時短マシーン。考える必要ない。ひたすら作業すればよい。高級機を扱う先輩職人には、手洗いにこだわり超音波洗浄機など使わない方もじつは多い。理由は本当にそれだけだろうか?手洗いはその日の体調によって出来不出来があるかも知れない。だが、それがバロメーターになっている。「あ、今日はなんか手の動きが悪いから、作業に気をつけよう」とかわかる。アナログの感覚。

マシーンにはそれがない。こちらの好不調などお構いなしに時間ピッタリに洗い上がる。効率的だろう?ホラ、お前もこのマシーンを使うんだよ。同調圧力に屈してしまう。がんじがらめのスケジュールで下っ端は奴隷のようにコキ使われて、心を病んだ時計師仲間には自殺した者も少なくない。なぜ日本ではこうも自殺者が多いのか。息苦しくて、生きていることを喜びとは思えなくなる社会なんて、どんなに屁理屈をこねようが、私はちっとも良いとは思わない。

私は日本社会に常々疑いを持っていました。それもあり、海外の事情はどうなっているのかとても興味がありました。そんな折、WOSTEP時計学校を卒業するタイミングでひょんなことから上海行きの話がまわってきたので、迷わず乗りました。そんな上海修行は3年のつもりで行って2年ちょいで帰ってきました。ジツは『前立腺肥大症』という、30代の男がかかるような病気ではないものをもらってしまい。やむなく帰国し学校のコネ使って国内の業者を紹介してもらい、御徒町の業界内では有名な修理会社に中途採用されます。しかしこれは、なんだか話がうますぎる。後になって知ったことですが、ちょうど私が帰国する少し前に、その店にいた私の前任者を務めておられた先輩は、自殺したとのことでした。そう、たまたま席が空いただけ。


そんなわけでして、そのお店には1年ほどご厄介になったものの、当然居心地が良いはずもなく。病気は日本に戻ってきた途端にウソのように治ったのですが、今度は別の問題が。老人ばかりで、しかも威張る威張る。腕は確かだから認めざる得ない。しかしいちいち価値観から何から時代錯誤もいいところ。タイムマシーンで昭和に戻ってきたのかな?とでも悠長に思わなかったら、やっていられないような環境でございました。年功序列で、歳が上だったりキャリアが長いほどエライんです。この環境に毒されて、修理業界に入ってくる若者は1年でも先輩なら自分の立場が上だと勘違いして後輩に横柄な態度をとるようになる。相手に人間として敬意を払うという心が育たない。儒教の教えがどこかで捻じ曲がって硬直したような悪しき風潮だと思います。IT畑を経験したり海外を知る私の目には余るほどの惨状です。パワハラだのモラハラどころの騒ぎじゃない。完全なヒエラルキーです。こんなことをやっていたら、この業界はガラパゴス化しておしまいです。つくづく村社会だと思う。

この店で私は古い国産の時計ばかりやらされて、現行のスイス高級時計などは全く任されなかった。でも、それがかえって良かったと思う。上海では真逆の最先端の高級時計ばかり任されていましたから。新しいもの古いもの両方の機械をたくさん覚えることができた。モノは考えようです。上海補習のつもりで通算三年やったし、もう修行は十分。独立しました。こういう老人たちが実権握っている日本の時計修理業界というのは、早晩地に落ちるのは目に見えていたので。業界ではどんな時計でも直せることで有名な店でしたが、実態はなりふり構わず動けばいいやっつけ修理も辞さない舞台裏を知ってガッカリもしました。盗みたい技なんかなかったし、しがみついても先なんかないよ。

つっころび、ぶつかり、立ち止まり。また走り出す。

上海と東京という国境をまたいだ修行遍歴で、人なりに悩んであがいた末の結果とでも言えばまとまりはあるかも知れませんが。私はけっこうな社会不適合者かも知れません。手は器用だけど、人間が不器用。(笑)


だいたいやねえ、日本の時計修理技能士なんて資格だってイカサマもいいところなんだ。修理の現場になんか滅多に来ないような国産クォーツの安っちいモデルを試験に使って、しかも採点基準は非公表。当然ながら落ちてもどこが悪かったのか、点数さえわからない。(評価がきちんと点数化されているかどうかすら怪しい)自己を客観視できないワケ。対象の時計が時代遅れなら、試験の中身も世界の水準とは周回遅れ。あんなの1級とっても機械式の修理には何の役にも立たない。

それにひきかえ、スイスのWOSTEPは名実とも世界最高峰の時計師資格。私がWOSTEPを店の看板にも使う理由はそれだけではありません。スイスの資格はワールドワイドです。これは上海に行ってはっきりしたこと。面接のときに、ボスが資格について聞いてきたので、てっきり技能士の話かと思ったら、違うんだ。

「へー。日本にも時計師の資格があるんだ?」

てなニュアンスのことを英語で言われた。(ボスはキャリアウーマン風の才色兼備の女性で、シドニー大学卒のエリート香港人。大学では教養で日本語も少し習得したくらいの日本贔屓で決してアンチではないにも関わらずこの認識)

うわー。日本の資格なんざ、世界からはそんな風に見られているんだーってね。


WOSTEPはクォーツと自動巻とクロノグラフと3つの時計で実技試験やって、1つでも規定点数に満たなければ合格できない厳格な資格です。試験はスイス人の現役時計師がわざわざやってきて、ちゃんとチェックします。私は6点満点中5点で合格。ちなみに同時に試験受けた22人中5点以上は私ひとりだけでした。4点未満で不合格も4人いた。これはましなほうで年によっては半数近く落ちたことも。担任の教官は「今年はどんぐりの背比べ」とボヤいておられました。過去には5点台後半を叩き出した猛者もいる。私の点数でトップなんて自慢にもならない。申し訳ございません。(笑)

ともかく、たとえ実務経験のない学校あがりの新人であっても、WOSTEP合格なら十分に即戦力として通用する実力の持ち主であることの証なのです。それが世界中で知られている。だから雇ってもらえたし、入社2年目には『Watch Repair Specialist』なる肩書きが私の名刺に入れられ、下にも置かない待遇でした。 当たり前ながら、上海のその店で扱う高級時計はスイス製。私が担当する高級時計もスイス製。スイスのWOSTEPならスイスイ話が進む。スイスイ〜。スイス。

景気が毎年2ケタ成長の絶頂期にあった上海には、スイス本社からも各ブランド毎に時計師やらトレーナーやら、年がら年中出向してきたりして、国際色豊かな職場でした。そんな彼らも私がWOSTEP出身であることを知ると、「すごいね〜!」てなもんで、褒めてもらえたほど。スイス人時計師でさえも一目置く資格なんです。

技能士? ネタにもならんよ。


人民元の給料でメシなんぞ食ったせいか、私には怖いものなんて無くなってしまいました。上海では色々とカルチャーショックも受けたけど、ここにちょっと書ききれないほど、日々の生活で感じたり考えさせられた出来事はいっぱいあって、そこから得られた教訓や知見は多い。以来、日本に帰ってきてからも状況をより広い視野から俯瞰できるようになりすぎてしまい、、、。上京したときの純粋で若々しい気持ちはどこへやら。東京で成功したいとか、そんなちっぽけなことはどうでもよくなり。もう観るもん見だ見だ。田舎さ帰ぇって悠々自適の隠居暮らしさすんべ。(苦笑)

どうにも今の日本や世の中の風潮は好きになれない。こんな腐った国なんぞ、南海トラフと富士山噴火でくたばってしまえばいいとさえ思う。なあに。財政破綻で超インフレで日本円が紙クズになったって、私はWOSTEPの紙切れとピンセット片手に世界中どこだって生きていけますさね。

あ。でも、もし本当に国難というほどの厄災が降りかかっても、もうたぶん外国には行かないよ?

こんなダメな国だけど、なんたって日本のメシが一番美味いもん。それに、もう無茶できる齢でもねえし、なにより、またチ◯ポが病気になったんじゃたまらねぇ!(爆)


これ、とれちゃった耐震バネね。これは高級機に多いタイプなのですが、とれやすい。まあ、とれてもこうして付け直せばいいだけなんですが。厄介なのは外れた拍子にどこかへ飛んでいった場合。そうなると、床を這いつくばる羽目になります。


こちらはバランス側。耐震装置もキレイに洗浄して、あたらしい油もたっぷり入っています。ここも分解時は片方完全に油が切れていました。中古品なんて得体の知れないものですよ。こんなものを買って。みなさん、私よりよほどギャンブラーだ。


アンクルを拡大したようす。左は洗浄前で右が洗浄後。

矢印の部分は『衝撃面』というのですが、ここをガンギの歯が滑り落ちます。この面だけにはみ出さないように油を差しますが、やはり10年もノーメンテで完全に乾ききっていますね。歯の通り道にそってカスだけが汚れとなって残っています。これもピカピカに洗浄します。光を反射させて一面にキラッと光るほどキレイならOK。わずかでも汚れていれば、洗浄前の画像のように汚れが目立ちます。衝撃面がピカピカなのはもちろん、ほかの面もすべてピカピカにします。

そうそう。せっかくWOSTEPの話が出たついでに少し舞台裏を教えますと、洗浄はクリーンリネスという項目があって、例えばですが、衝撃面が汚れていて洗浄不十分とみなされると−1点とか。油がはみ出していたら−1点とか。そうやって項目別に1から6まで点をつける。点がつく項目は全部で何十何百とあります。それらの平均点が最低4以上で合格。かつ2点以下の項目がひとつもないこと、とか条件もつく。そんな感じの点数のつけ方です。なので、平均すると総合結果が4.75点とか小数点以下がつく。むしろピッタリ5.00点は珍しい。(が、私はそれだった)

結果を個別に集計していって、さらに最後にトータルを出す。クォーツが5.6点、自動巻5.2点、クロノ5.0点、時計理論4.2点で、平均で5.0点ジャストとか、私の場合はたまたま。社会人経験者らしく、理屈なんぞ一線でたらさしたる役に立たんと知っていた。頭で直すんじゃないよ。手だ。実技こそ点を稼ぎたかったし、結果もそうなった。理論のお勉強は周りの若い子君たちは試験直前まで目を皿のように教科書にらんでカキカキしてたっけ。最年長の私はといえば、のほほ〜んと工具のお手入れをしつつ、ベランダで一服点けてくるようなマイペースな奴でございました。競技と違って勝つことが目的ではないし、他人は全く気にしなかった。自分らしさを出し切ることに集中。理論は自分が理解していることを自分の言葉で説明できれば良いと考え、模範解答を丸暗記するような受験テクニック的なことはいっさいやらなかった。でも4点以上だったからまぁよかった。(笑)


いつもの香箱のゼンマイに注油。この五点差しもWOSTEP流。私はWOSTEPのサティフィケートを持った職人であることを誇りに思っているので、この部分は誰が何と言おうがこの方法で手入れを行う。ショーワのあやしげな徒弟制で鍛えられた老職人の中には、実に色々なことをおっしゃる方々がいる。いわく「ここにはこうやってタラーリとD5でも流しておけばいいんだ」ですとか。「香箱なんて開けなくていい」ですとか。いやはや千差万別。摩訶不思議な時計修理業界。

注: D5(でぃーご)とは、マイクロジル社・D5(ディーファイブ)のこと。万能油として一世を風靡したが、現在ではメービス社・HP-1300など、後継に押されつつある。時計用油は現在でも新規に開発が続いており、メーカーのほうでも注油の指示書などみると、いつの時代だったかわかるほど。ちなみにD5は“oil(オイル)” であり、“Grease(グリス)” ではない。香箱のゼンマイに差すのは多くのメーカーの指示書ではグリスである。オイルは注油量や香箱の構造によっては外に流れ出てしまうため、採用する場合は注油量が難しい。むろん目分量で垂らすなど論外である。


こちらもいつものバランスのひげ具合をみる。今回は緩急針のないフリースプラング・タイプだったので、組んだ状態でもおひげの具合がよく見える。うん、キレイなアルキメデスだ。ここも目でみてわかるほどズレていたら5点はおろか4点さえ覚束ない。もっとも厳しい採点がされる。神がかったような腕前でもなければ6点などつけてもらえないのだ。そういう採点方法。模擬試験や中間試験を含めて、ついぞ6点など取ったことは一度もなかった。厳しいチェックで妥協は一切許さなかったが、教官はやさしい良い人たちばかりだった。職人として尊敬できる人だった。その人たちに稽古をつけてもらえて今の私がある。


水平ヨシ。

WOSTEPには合格すればサティフィケートが得られる最終試験のほか、そこに至るまでの前提条件として規定時間のプログラムを修了していることに加え、5回の中間試験がある。1、2回目はいずれも旋盤を使った工作試験で、『巻き真とピボットゲージ製作』が課題となる。細かな寸法などは当日に渡される図面を見るまで分からない。したがって、前もって完璧なコピーを作ってすり替えるなどカンニング的なことは一切通用しない。おまけに公差は一番ゆるい部分で5/100mm以内ときたものだ。これを超えれば失格となる。実際には2/100mm以内の誤差で図面通りの寸法の部品を生み出せる『手』の技が必要。中間試験の段階からコレである。かつ、5回のうち1回でも規定の点数をクリアできなければ、そこでおしまい。最終試験を受ける権利すらなくなる。


3回目の中間試験は、『ギヤ・トレイン』。輪列を構成する香箱から2番〜4番車、そしてガンギ車まで。ここのアガキ具合などが、指定のクリアランス(2/100〜5/100mm)で組み立て調整されているかどうかなどがメインの試験。ようやくムーブメントに関わる試験だが、これはまだまだ序の口。だが、私は軽いスランプに陥っていた時期であり、クラスの中でもダントツでビリだった苦い思い出がある。周りを見れば、昨日まで高校生だったような若い子たちもいる。彼らの飲み込みは素晴らしく早く、羨ましいほどだった。この時は、やっぱり30歳過ぎてからサラリーマン崩れが職人を志すなんて自分は考えが甘かったに違いないと、心底気持ちが萎えたものだ。


そして4回目の中間試験となると、いよいよ真打登場〜。アンクルとガンギ車の調整である『エスケープメント』。ここで例のツメ石を動かして、これまた1/100mm の違いで性能云々の、細かな調整技術の粋を極めたような試験である。このあたりでようやく遅咲き(?)の私の腕が鳴り始める。この4回目試験にはなんでも例年あるジンクスが伝え聞かされているという。それは、「4回目の試験を制すものは、最終試験を制す」というもの。なぜか4回目と5回目の結果はクラスで公開されなかったのだが、どうも私がトップだったらしい。会心の出来というつもりもなかったのだが、結果は5.6点という5回の中間試験の中で私にとっては最高点をマークした。ちなみに5回目の試験というのは、バランスのひげ調整であった。これが何点だったのか不思議と思い出せないが、5点台前半位だったか。4回目の躍進があまりに嬉しくて、覚えていない。


そんなこんなで懐かしのWOSTEP時計学生の思い出話をしているうちに、ムーブメントの完成となりました。

残念なことに、日本へのスイス高級時計の輸入量が個数でも金額ベースでも中国に追い抜かれた時期とちょうど機を一にするように、WOSTEP時計学校も日本からは撤退してしまいました。アジア地区では、上海に新しくWOSTEPの資格がとれる学校ができました。これからサティフィケートを取るには、こうした世界の提携校か、スイス本校に留学する必要があります。

亨得利(ヘンデリグループ)で時計師として仕事していた時、WOSTEP資格を持っていたのは上海では日本人と台湾人くらいだったけど、北京などには中国人でスイス本校を卒業したWOSTEP資格を持つ時計師もすでにいました。何かの集まりの時に少しだけ話をする機会があったので、本校での様子など聞いてみた。そしたら、驚いたことに中間試験のレベルが違う。彼は旋盤試験では巻き真ではなく、天真の製作を行ったとのこと。(これはCMW試験に匹敵する難易度)まわりは巻き真だったけど、自分は途中でブランクがあってハンディがあったから、とケロリと答えた。飛び級のように個々の実力に応じてフレキシブルに対応している様が感じられた。

、、、これ負けるよ。間違いなく未来は中国の躍進で、日本は没落するだろうね。日本の老人たち始め、当事者には全く危機感なんてないんじゃないの?私にははっきり将来の姿が見えてしまった。


ノーメンテの時計で唯一、いいなと思うところ。それはネジが全く痛んでいないということだ!

性能はともかく。コレクションで時計あつめてます、という人にはこういう需要もあるのかしらん。

戦後築かれた人口動態のボーナスによる富は、所詮は数の経済。これからますます本格化する少子高齢化社会の中にあっては、規模も中身も小さく縮小していくだろう。避けられない現実。私が時計師に転身できたのも、私個人の力だけではない。時計師になるまでは今まで。時計師になった今はこれから。私は私にしかできないことこそ、世のために役立てたい。恩返しをしたい。私らしいやり方で。


引き続き、パワーリザーブとカレンダーの組み付けへと進みます。ジャガールクルトのこのモデルは、シンプルながらよく考えられたしくみ。複合モデルということで、一応料金はクロノグラフ相当として進行させていただきました。それでも、これだけの機械をウチの料金でやる店なんて、全国どこにもないと思いますよ。広告にいっさいお金かけてないので知名度は低い店ですが。(笑)

見る人が見ればわかる的なノリで、好きな時に仕事して、あとは庭の草むしりか、パイプでも咥えながら音楽流して一日中ボーッと気ままな暮らし。マーラーの1番を朝にかけて、夕暮れ時には9番までいくような。ナントカ全集みたいなものは押入れにはいらないほど集まり、ぜんぶ通しで何度聴いたかわからない。なあに。そのうち時代が私に追いついてくるのさ。


ハアイ。お面をつけて、お顔のパーツもつけて、できあがり〜♪

モダンなフェイス。どことなく喜劇役者の表情にも見えないこともない。(?)

躍動感がそう思わせるのか。不思議な魅力のあるデザイン。


今回はすっかり脱線しっぱなしでしたが、仕事キッチリ。

ちゃあんと、キズひとつつけることなく無事にケーシングまで漕ぎ着けました。ここまでくればひと安心。外装についた小キズなどは10年選手としてはこんなものでしょう。外装もピッカピカに磨けば高く売れそうですが、あいにく私は外装は誇れるような腕ではありません。研磨には専門の研磨職人がおり、そこにもまた時計師とは全く違う世界があるのです。実際にはウチのような規模の小さい店では時計修理とセットで研磨も兼務せざる得なかったこれまでの歴史の流れがあります。WOSTEPにも本校にはポリッシャー(研磨)のためのコースがありますが、これとてあくまでアフターサービス用の位置付けです。本職ではない。私は現場で実地に先輩職人から手ほどきを受けたり見よう見まねでやった程度のレベルと経歴です。とても売り物にはならない。あくまでオマケ程度なんです。

なかなかこの辺の事情はうまく市場には伝わりません。お客さんは1級時計修理技能士なら誰でも安心だと考え、時計は直って当たり前。研磨は新品同様になって当たり前。お代に見合う満足でないとなれば、次はない。世の中キビシイですね。(笑)

それでも、私は私の天職と言える仕事にどうにかありつけて幸せです。なにかの縁あってウチの工房に来た時計は、その時計のポテンシャルを引き出して再び実用できる性能に仕上げ直すことに無上の喜びを覚えます。それでお客にも喜んでもらえたら、私はこの仕事をしていて本当に良かったと思います。

無名だっていいじゃないか。儲からなくたって食えればいい。

婚期は逃したけれど、結婚願望はもともとない。(私はスキゾイドという一種のパーソナリティ障害に当てはまっている。医者の正式な診断があるわけではないが、コチラのサイト『人間社会の飛行法』で仲間がいることを知り、自分もこの仲間だと確信している)

今現在の生活に満足しているし、毎日がとても幸せです〜♪


最終特性【全巻き】

左上)文字盤上 振り角 274° 歩度 +006 sec/day

右上)文字盤下 振り角 278° 歩度 +008 sec/day

左下1) 3時下 振り角 237° 歩度 +004 sec/day

左下2)12時下 振り角 242° 歩度 +003 sec/day

右下3) 3時上 振り角 241° 歩度 +002 sec/day

右下4)12時上 振り角 240° 歩度 +002 sec/day

冒頭の最大姿勢差Δ26秒はΔ6秒まで改善。これでも最高性能というわけではない。ジャガールクルトのマスターコントロール1000モノは上海でも数えきれないほど対応してきました。新品の性能からはやや落ちます。まあ10年ノーメンテのものですから。最高性能を求めるのは虫が良すぎます。そうはいっても、これはかなり今回はうまくいったほうでしょう。このギャンブルはご依頼主の勝ち。拾いもんしましたね。


さらに【半巻き】の特性。平姿勢で240度。縦姿勢200度。冒頭のときはそれぞれ、200度と150度でした。特筆すべきは歩度のほうで、一部が遅れになりつつも、最大姿勢差はΔ9秒までに改善しています。(分解前はΔ60秒超〜という時計としては問題外の状態でした)これこそ、実用可能な状態です。じゅうぶんに日常のご使用で精度が出ることが見込まれます。


完成。

いつになく徒然なるままに駄文が過ぎました。オリンピックが東京で開催され、タイムが出たり審査員がつける点数が電光掲示板に踊るとき、私はかつての日々を思い出す。表彰台の選手の瞳に映る景色はどのような世界を乗り越えてきたのかと。ひとりひとりのドラマ。コロナ禍のなかで利権や政治的な理由で強行された大会には批判も多かろう。スッキリといかない複雑な背景。そんな中でも選手たちは己の歩みを止めるわけにはいかない。アイデンティティを賭けて、戦う。

そんな姿に勇気をもらえた気がして。明日は明日の風がふく。