フランク・ミュラー マスターカレンダー

Franck Muller|5850MCL

フランクミュラーのトノウカーベックス・マスターカレンダーのオーバーホールご依頼です。ブログ掲載オプションのご希望をいただきました。ありがとうございます。当ブログにありそうでなかったフランクミュラーですが、さてさて。


フランク・ミュラー マスターカレンダー

分解前の測定から。振りはしっかり出ており、歩度も縦姿勢では若干遅れる姿勢も出てきてはいるものの、全体的によく揃っています。前回2008年にワールド通商にて手入れしてあり、その後はここ9年ほどは全く使わなかったとのこと。逆算しますと、2012年頃まで使ってオーバーホールの頃合いを迎えたままお蔵入りしたことになります。それでこれだけ性能が保たれているとは、さすがは代理店直轄のサービスですね。前回の手入れ内容が良かったことと、すっぱり使うことをやめていたことが幸いしたのかも知れません。


さっそく裏蓋を開けていきます。ケースは18金無垢です。750の刻印が裏蓋に見られます。ガスケットは裏蓋側のくぼみに輪状ゴムが一本巻かれています。ちなみに劣化したガスケットなどは適宜交換しており、特殊な形状の専用品をのぞいてオーバーホールに付帯するサービスとしております。そのため、とくに個別に分けて計上はしていないのですが、今回ガスケットの交換リクエストもいただきました。ああ、これは盲点だったかなと。利用者側の立場ではこういう点も何気に気になるのかなぁと。私自身が無精であんまりこと細かに注意書きを書き込むタイプではなく、当工房のホームページなどは必要最小限にしぼってご利用の要点を書いております。分からないことは聞いてくれ、というスタイルです。少し反省しました。


ムーブメントは『CAL 2800』とされておりますが、これはムーブメントに詳しい人(時計師など)が見ればすぐETA2892A2であることがわかります。一部パーツはマスターカレンダー仕様に変えてあるものの、主要部分はほぼ2892そのままと言ってよく、実際のところ完全に互換性があります。

「それにしちゃあ、ずいぶんフランクミュラーってお値段高くないかい?」

という評価が一部で囁かれていることは、実は結構有名な話だったりします。ご依頼主さまもそのあたりの評判はご存知で、それでも私はフランクミュラーの優美な曲線や文字盤の色味に魅せられた、との事です。

こういった事をオーナー側が気にして、当工房のブログ掲載オプションのご利用をためらわれていた節が、過去にもないわけではなく。メジャーなブランドの割になかなか事例があがらなかったのには、こうした遠慮があったのかも知れません。


気にされることはないですよー。某国産ブランドの古い時計の愛好家などは、こちらが何をたしなめようと、ブログで弱点をあげつらって牽制しようと、お構いなく「ブログ掲載オプションで」と言ってきますから。あまりに耐えかねて、実弾発射(強制『すべておまかせコース』行き事件)してから、めっきり最近は依頼が立ち消えましたが。(笑)

あんまり変な特殊事例ばかりブログに載せたくないんです。なぜなら、それを見て「私もー!俺もー!」というお客様が、次々と類は友を呼ぶようにいらっしゃいます。

、、、その。困ります。困ります、お客様〜。

まあ、それもこれも時計に対する“愛”だと思って、なんとか頑張ったのですが。ある時、物理的にも精神的にも「もう無理だ」ということになりまして。それで営業方針を変えざる得なくなった苦い過去がございます。


文字盤からカレンダーのモジュールを取り外したところ。こんなふうに、ムーブメントはベース本体と、カレンダーモジュールの2つのブロックに分けることができる仕組みになっています。ベースは共通にして、カレンダーモジュールだけを交換することで、モデル・バリエーションを増やせますので、コスト的に有利です。

、、その割に、という声がまたどこからか聞こえてきそうですが。(苦笑)


モジュールは地板にペルラージュ模様が施され、バネやハンマーのひとつひとつまできちんと仕上げされており、高級バージョンのものです。実は、こういうモジュールだけを専門に作っている下請け業者がスイスには存在します。もともとが分業体制から発展してきた歴史というものがあり、それはキャビノチェの時代にまでさかのぼります。一日中、歯車だけを作っていたり、石だけ作ったり、ネジだけ作ったり、そういう多種多様な家内制手工業的な専門家に分かれており、それらをアッセンブリーするのが時計ブランドというわけです。これは全てを自社内で製造するマニュファクチュールと呼ばれる巨大メーカーが誕生したあとの現在でも続いております。IWCなのにルクルトの機械が入っている、ロレックスだが中身はゼニスのエルプリメロだ、ユニバーサルだが実はパテックと同じ機械が、、、。こういう事例は枚挙に暇がありません。公然の事実です。まあ、そこを知っててあえて楽しむのが通な世界です。


モジュールを分解していく途中のようす。精緻なつくり。ご依頼主さまが今回ブログオプションを依頼されるにあたり、いくつかリクエストをいただきました。その中に「ジャガールクルトのマスタームーンとの違いを知りたい」というものがございました。

さすがに違う方のご依頼で載せた画像をこちらに転用することは憚られるため、具体的にどこがどう違うかはお手数ですがブラウザのタブなり別ウィンドウで表示して見比べていただくほかありませんが、言われてみますと確かに似ているなあ、と思った次第。よくみれば機械の設計は全く違う別物だと分かるのですが、パーツの仕上げ方法とか、グレードなんかもそっくりです。案外、製造元は同じモジュール専門会社で作っているのかも知れません。

誤解ないよう一応書いておきますが、全部が全部そうした外注であるとは限らず、自社内で製造しているモジュールの場合もあり、詳しいことは直接ブランドに問い合わせてみないことには確実でない、とだけ申し添えておきます。


取り外したパーツは洗浄して、組み直します。こうしたモジュールに分かれるタイプですと、個別に作業ができるため楽だったりします。例えば、今日はもう就業時間が終わりそうだから、モジュールだけちょこっとやって、ベース部分はまた明日、のような時間の使い方がうまくいきます。

さらに分業体制が進んだ修理会社では、一人の職人が、今日はずっとモジュールだけ20個やって、明日はベースだけ、、、のようにバラバラに工程を細分化しているところもあるみたいですが。

ちょっと、そこまで分けるとある種の精神衛生上の問題とかないのかしらん?と余計なお節介をしてみたり。ウチはそこまで数をさばく必要もないし、永遠に関係ないっちゃない世界の話ですが。効率だけで何もかも回そうとすると、だいたいろくなことがありません。


こちらはベースを分解したところ。1台1台の時計は、こういう表現も変な話ですが、一人の人格をもった相手と対話をするように、その時計だけによく注意して頭に入れておかないと、うっかり見落としたり見逃したりするようなスキマが生まれてくるような気がするんですよ。同じ2892だから、何台まとめてやろうが同じだし、不具合があれば気がつくよと言われてしまうと、それも理ではあるのですが。なんだかこう、そこまで割り切れない。どうしても、その時計はどういう使われ方をしてきて、持ち主はどんな人で、とか考えたくなってしまう。そこから切り離されて、完全に『モノ』相手の作業になったとき、私の中で何かが失われはしないだろうか、、、。

考えすぎですかね?


洗浄がすんで、パーツケースに収められたところ。続きはまた明日。あわてないあわてない。時間ならいくらでもある。それがウチのいいところ。

なにしろ、半分世捨て人の田舎ひとり暮らしだ。最近はすっかりクラシックびいきになって、一日中オーディオを流しっぱなしにしている。

今日はヘルムート・ヴァルヒャのバッハ・オルガン全集を最初から最後まで。

明日はオリヴィエ・ボーモンのクープラン・クラブサン全集を最初から最後まで。

、、、、毎日こんな感じです。


洗浄前の香箱のようす。さすがに油は乾ききっていたが、汚れはほとんど見当たらない。これ、前回もちゃんとゼンマイまで取り出して洗浄&注油した証拠。油の量が適切なら、10年も経てばそりゃ乾きますよ。手入れミスではない。やっぱりワールド通商の職人さん達はきちんと仕事しているね。ご立派。

みりゃあわかるんだ。これもいつも言っておりますが。


はい。巻き直して、注油しなおしました。これでまた次のオーバーホールのその時まで、しっかりゼンマイ君は仕事します。


バランスを組んで、ひげぜんまいをみる。

どうも私は恐れられているようで、今回のご依頼主様も「コメントが楽しみでもあり、恐ろしくもあります。」とのこと。

うーん。

あんまりアトリエ・ドゥ節で書きたい放題やっているせいですかね?

怖くないよぅー。。。ヘ(゚▽゚*)オイデオイデ


こちらは、自動巻ブロックを分解したパーツのようす。

リクエストその2「ムーンとのムーブメントの違いはあるのか…。そしてローターがプラチナの意味はあるのか…。(真実のコメントをドキドキしながら待っています)」

ウチはお化け屋敷かい!(笑)

ローターはプラチナですか。ふむふむ。


組み上げたようす。

まあ、これに関してはETA2892A2の通常グレードと見分けがつきませんねぇ。本当ですよ。こうして裏返してしまうと、仕上げがノーマルだとますます見分けはつきませんねぇ。

このあと、ピンセットでつまみあげて、軽く振ってみたりしてローターをやじろべえみたく揺らして、だんだんと動きが小さくなっていく具合をながめて、その減衰スピードから状態を判断したり、、などという時計師ワザでチェックしたりするのですが。

持った感触も、、、重さとか。「言われてみれば確かに少し重いかな?」という位の違いしか感じられないですねぇ。性能面ではどうなんでしょう。他にもロジウム製とか、要するに密度が高くて比重の重い金属がしばしば使われることがあります。一定の効果はあると思いますが、プラチナである意味は、、、。

(ドキドキ)


表にかえしたところ。『PT950』の彫り込みがあります。

プラチナは生のままだと退色しやすいので、おそらくメッキしてあると思います。

まあ、なんですか。

「今日のオレのパンツはプラチナを穿いているぜぃ〜!」

という、気分の問題と申しますか。

「今夜のオレのメシはプラチナだったぜぃ〜!」

という、満足を感じていただけるものと申しますか。

バレないようにスクラップして小遣いかせぎして、ETA並グレードのローターと交換しておいてやろう。


はい。ベースムーブメントの完成でございます。

今回もどこにも問題はなく、いたってスムーズに作業が進みました。

(強制終了モード)


ベースとモジュールを組んで、さらに文字盤をつけて剣つけへと進みます。


真横からみて、針の高さや間隔をチェック。

下から順に、カレンダー針、時針、分針、秒針と4段つきます。

普通の時計では4本針は窮屈にならざる得ないのですが、フランクミュラーの場合はかなり風防に高さがあり、その形状に合わせて針の先端や文字盤が大きく湾曲していることが分かります。


文字盤の曲がりは、長手方向のみではなく、短い辺もわずかに曲げてあります。このため文字盤は3次元的にみて、かなり複雑な形状をしていると言えます。

まっすぐな板であれば、作るのも簡単だし、時計ケースとの接点も直線ということであれば、合わせるケースの加工も容易なわけです。

文字盤だけを曲げるのであれば、そんなに難しいものでもないでしょう。金型をつくってドスンと打ち込めば真鍮の板なんざ3Dでも難なく曲げられるはず。ところが、ケースのほうはそう簡単にはいきません。柔らかく削りやすい18金はともかく、ステンレスケースでそういう溝なり曲面をケース内部に正確に作り出すことは、これはかなり難しいはずです。手仕事では不可能に近いと思います。


文字盤を拡大したようす。

ギョーシェ模様が細かく彫り込まれています。画像ではわかりにくいのですが、彫り込まれた部分が様々に光を反射しますので、実物をみると光の当たる角度によって輝きが動いてみえ、表情がたいへん豊かです。これもただ文字盤に曲面をつけるだけならそう難しくなくとも、さらにギョーシェなど彫り込みを入れようとすると、途端に難易度がMAXレベルに上がります。平面のものに対して機械的に模様を入れるような工作機械の設計と、3D曲面のものに同じ深さの模様を均一に全体に入れるのとは、似ているようで訳が違います。なかなか一般の方でそういう知識や経験のある方はいないと思いますが、ケースと合わせてこういう芸当ができて、かつ大量生産の要求もこなせる方法はCNC旋盤以外にはあり得ません。コンピューターとロボット技術の進化の賜物です。


ケーシングしたところ。

そういった技術面での進化にあわせて、アイディアを形にできるところがミソな訳です。技術だけいくらあっても、それを使いこなす感性がなければ意味がない。宝の持ち腐れでしょう。こうした曲面を多用した時計のケースや文字盤のデザインをいちはやく時計づくりに取り入れて、世に問うたのがフランクミュラーでもあります。稀代の天才時計師は、超複雑機構のトゥールビヨンを自らの手で作れるだけではありませんでした。ちゃんとビジネスとして世界中の時計ファンを唸らせるデザインの時計を生み出すことを忘れなかった。


わずかにカンの部分だけが直線ですが、残りの部分はこれでもか、というほど全て曲線で形づくられています。これが他の時計にはない、特別な存在感を醸し出しています。まったく新しく独創的であり、それまでの時計づくりの歴史と一線を画すデザインの進化を遂げたわけです。このあと他のブランドも真似をして、今では似たようなフォルムの格安の時計が溢れかえっています。アホな庶民にはそんなことはわかりません。それも手伝って、ETAポンのくせに、などと悪口を叩きます。結局は最初にやったもの勝ちであり、そのアバンギャルドの先進性をオーナーは買ったわけです。中身の機械がどうだからとか、経済採算性とかコストばかり口にして高いだの安いだの言う輩はいつの時代にもいて、結局は自分では手が届かなくて買えないものだから、負け犬の遠吠えをしているだけなのではないでしょうか。

この時計の真価を見抜いて、ポンと買えるものなら買ってみなさい。


プラチナだから成金だとか、そういう肝っ玉の小さい根性では、一生こういう時計を買える大物には育つまいよ。

パンツにしろ晩飯にしろ、他人にみせびらかす訳じゃないんだ。それで本人の気分が上がるならいいじゃないですか。いい仕事して結果が出せるなら。じゅうぶんにプラチナである意味があるし、その価値はあったということだ。(笑)


最後にアトリエ・ドゥ節をぶちかまして、完成です。

フランクミュラーですが、実は私が上海で時計修理の修行をしておりましたとき、このブランドの専属技師を拝命して努めていました。一時期ばかりの話ですが、その数年間は上海はもちろん中国本土ぜんぶの需要に対して、事実上の修理・総元締めみたいなことをやっていたことになります。ほかにはこの学校上がりのWOSTEPを手にしたばかりであった日本人の若造のほかに適任者がいなかったわけです。それほど中国の経済成長は急であり目覚ましく、成功して時計を買う金持ちの増え方に、技術者の教育が追いつかなかった。技術的には私より上の時計師はいても、人数がまったく足りなかったのでしょう。ETAポンより難しい高級ブランドは確かに他にもたくさんあります。(それを考えりゃまあ順当だな)そっちのチームのほうもしばしば人手が足りぬと見えて、私のほうにまで回ってくる始末。そのおかげでマニュファクチュール御三家を筆頭に、ずいぶんマイナーな機械までいじらせてもらえる機会に恵まれ、仕事を覚えることができたわけですが。修行にはうってつけ。

その話をメインにしてくれ、というのがご依頼主のリクエストの最後でしたが、これは実現できませんでしたねぇ。(笑)

まあ、そんなつまらないお話なら、またいつぞやに第2第3のフランクミュラーのご依頼があったときにでも、忘れないうちに昔話しようと思います。


尾錠の部分で左は洗浄前。右は洗浄後。

18金といえども、変色はします。お持ちの方はご存知だと思います。しばらく使わずに放置しておくと、こんなふうに色が変色してきます。金の部分は変化しなくても、混ぜ物として使っている銅成分などが反応します。完全な24金であっても、空気に含まれるわずかな油分などが蒸着して表面がくすむことだってあります。こういうものは、チョッと市販の貴金属用の研磨布なんかで拭ってやるだけでもピカピカになるんですが、まあそういう生活の知恵みたいなものを吹き込む人が周りにいないのが現代社会なのでしょう。なにかというと、すぐ「研磨してくれ」という方が多い。

上海修行のときは、依頼主本人の希望にかかわらず会社の方針でポリッシング・サービスをすることになっており、これまた例によって専属のポリッシャーなんか雇っていませんから時計師が兼務する。この尾錠みただけで私はフランクミュラーだとすぐ分かるくらいに研磨をしました。その経験から言って、研磨はやればやるほど、どんどんフォルムが崩れてしまって、オリジナルの優美さが失われていきます。金はやわらかいので、研磨機のやり方を間違えるとあっという間にすり減ってしまう。やらないほうがいいです。他人に譲るからどうしてもとか、何か事情があるときだけに絞るべきです。金ですから、目方が減れば価値も減りますからね。


外装ケースは今回洗浄のみ。目立つキズがもともとなく、キレイにお使いになられており、洗浄のみで正解。

もし研磨してくれ、と言われたら。プロとしてはキズを消さなければならない。ちょっとのキズを消すだけでも、まわりの金をまるごと削ぎ落とさなければならない。これが実にバカにならない量です。研磨機のクズを買い取りにくる業者というものがいるのをご存知でしょうか。毎年年末とか大掃除のタイミングにやってきて、研磨機の内部のクズを全部もっていく。そんなにいいのかって?

1年間のクズの中から、純金に再精錬すると数グラム〜数十グラムの金塊になるほど(!)それを買い取ってくれるんです。

小さな個人の店でも年間にして数万円分の金が採れることがあり、都市鉱山と化しております。研磨、、、バカになりません。サービスポリッシュに私がいい印象がないのはこれもひとつ。旦那、タダより高いものありませんぜ。


最終特性

左上)文字盤上 振り角 319° 歩度 +009 sec/day

右上)文字盤下 振り角 322° 歩度 +009 sec/day

左下1) 3時下 振り角 282° 歩度 +009 sec/day

左下2)12時下 振り角 285° 歩度 +002 sec/day

右下3) 3時上 振り角 288° 歩度 +003 sec/day

右下4)12時上 振り角 292° 歩度 +005 sec/day

元気よく振って、全姿勢差もプラスマイナスが約3秒以内と上々です。実測では平均で約5秒の進みという結果でした。


完成。

今回の該当コース:【 オーバーホールコース 】