オメガ・シーマスター600

Omega|Seamaster cal.601

手巻きのシーマスター600のオーバーホールとブログ掲載オプションのご依頼です。前回2017年9月に当工房にて修理したものです。だんだんと2回目のリピートのご利用が増えてきまして嬉しい限りです。


オメガ・シーマスター600

こちらは5年前に修理完了したときの歩度測定結果です。ずいぶんボロボロの状態で、パーツもリュウズやら2番車やらあちこち交換して、やっとなんとか復活したような時計でした。修理代も5〜6万円くらいかかっております。

サビもケース内部やらパーツやらひどくて、大変だったものです。今同じような状態の時計が来たとして、オーバーホールコースで受付するかどうか微妙です。「オークションで買いました」なんてものは即却下だと思います。どうしてもということなら、すべておまかせコース行きです。

絶望的な状態のものがマトモに動くまで外見共々甦った系は、やってる本人含めて最初は楽しかったのですが、すぐに間違いだと気づきました。そのブログ記事を見て、ボロをオクでわざわざ手に入れて次々と申し込む客が増え続け、私の気力が持ちませんでした。それほど大変なことなのです。ブログ掲載も今の料金からすればタダ同然みたいなものでした。その時期に大量に載せた記事のほとんどは削除させていただきました。今同じことやれと言われてもできないので。


そして、こちらは今回の分解前の特性です。振り角も姿勢差も傾向は同じですが、歩度だけがまんべんなく全体的に進んでおります。普通は年月の経過と共に歩度は遅れてくることが多いのですが、こういうパターンもまれにあります。

どうしてイレギュラーな結果が起きるのでしょうか?

何か、偶発的に未知のエネルギーが加わって、緩急針がわずかにズレたとか。(わりとある)好奇心が有り余って裏蓋をうっかり開けてしまい、禁断の自己調整に踏み切ったとか。(ないない)

ほかにも、例えば磁気帯びすることで歩度が変わってしまうことがありますが、今回の時計は磁気帯びではありませんでした。うーん。何でだろう??

わからないときはだいたい、持ち主の根性がひんまがっている

、、、理由は定かではございません。現象としては観測される事実の通りです。


さっそく分解してまいります。単にバラバラにしていくだけではなく、外したパーツをみて前回の注油の乾き具合なども何気にチェックしています。


輪列受けを返したところ。左端の穴石には3番車が入ります。まだ少し油が残っているようすが分かります。順に4番車、ガンギ車と続きますが、こちらはほとんど油が残っておらず、カスだけが残っていますね。油の種類が軽く蒸発しやすいものが使われております。そういう所はメンテナンスから5年も経つとこのように乾いてしまうのです。

じゃあ、3番車みたいに重くて乾きにくい油を使えばよいのでは?

それをやると、今度は性能がまったく出なくなります。それくらい油の種類の違いは動作に重大な影響を与えます。油ならなんでも良いというわけではありません。ホゾにかかるトルクエネルギーや動作の理屈をちゃんと分かっていないと、正しい油を選択できません。


3番車を拡大したところ。ホゾに旋条痕がついてしまっており、摩耗しております。実は、前回修理時にも気になっていたものの、これよりさらに状態がヒドイものがあり、そちらのパーツ交換を優先し、3番車はなんとかあと数年は持ちこたえそうだと踏んで続投させた経緯があります。

今回は3番車の油はまだ切れておらず、ご依頼主もこの時計をあまりお使いでなかったとの事で持ちこたえました。油が切れてしまうと、摩耗はさらに進行し、やがて止まりの原因となります。


そこで、新しい3番車に今回は交換します。

このシーマスター600は1960〜1970年代ごろの機械式時計の全盛期に作られたものです。この時期に作られたヴィンテージ・モデルのファンは多いのですが、ブランドによっては全く交換用のパーツが入手できません。国内メーカーでは皆無です。

オメガはブランドのポリシーとして、どんなに古い年代の時計であっても修理できることに価値があるという考えを持っています。スイスの老舗にはこういう考え方をするブランドが他にも結構多いです。

そのため、スイスの古い時計は今でも交換パーツが入手しやすかったりします。オメガはその中でもとくにパーツがよく揃っています。もともとが高級品ですから、当然それなりのお値段はします。ファクトリー・パッケージ入りの新品で、だいたい歯車1個が1万円〜からです。


新しい3番車とならべて比べる。倍率がさがるほど、見分けにくくなる。実際、油を差してしまえば、性能に大きな違いがでるわけでもなく、そのまま使えてしまいます。

ところが、油が切れた途端に摩耗は極端に進んでしまいます。最初はゆっくりと気がつかないものが、ある時点を境目にしてそこから急激に進行します。なにかの物事と似ているような、、、。(日本の人口減とか)

気が付いた時には手遅れというか、時計の場合は止まりとなって表れます。そうなると時計師は信用ガタ落ちです。死活問題です。未然にそのようなことは防がねばなりません。


すべてのパーツの分解と洗浄がすんだところ。

いつも思いますが、スイスの時計ブランドは長期的な視野で戦略的に動いているなと。国産メーカーも見習って欲しいです。「担当者が変わったので昔のことはわかりません」だの「製造の法律で生産終了品の在庫は8年後までしかありません」だの、とにかくいつからか日本人てのは責任逃ればかりが上手になって、ファンの気持ちとか真っ直ぐ受けようとしなくなった。会社に忠誠尽くして給料さえもらえばいい。客のことなんて知らない。そんな人ばかりなんじゃないの?

理屈はいいから。同じ1960年代のヴィンテージモデルが、かたや今でも新品パーツに交換できる。かたやボロの中古ばかりでまともに修理もできない。この事実が何より雄弁にその差を物語っていると思います。


香箱のゼンマイに油をさす。

ああいやだいやだ。なるべく悪いところから目を逸らしたい。不都合な真実に背いても受けのよくない話はしないでおきたい。イイ顔しい、耳障りのよい事だけ言っておけばOKじゃないか。商売繁盛。あなたは人気者。

だが、それでは時計は直らんのですよ。(トホホ)

あるいは時計は直るかも知れないが、持ち主には何も正しいことは伝わらない。

それでは悲劇はいつまで経っても治らず、ただ繰り返されるだけなのです。


バランスを組んで、ひげぜんまいの調整をする。

私、あれこれ喋りすぎ?

黙って仕事に集中すればいいのか。背中で語るというあれだな。


(無言)


(これでもか。)


これでもか、というほどに。(背中で語る)


うーん。やっぱり言葉で説明しないと分かりませんな。

ひげぜんまいは中心から均一な幅で広がっていなければなりません。どこかに偏りがあると、それが姿勢差となって歩度の偏りとなって表れます。そして、軸に対して水平にフラットに広がっていなければなりません。お椀型や傘型に曲がって広がっていると、これも姿勢差に悪い影響がでるばかりでなく、最悪の場合はヒゲが飛び出して緩急針に乗り上げて絡まってしまい、動かなくなったりします。

そのため、あらゆる角度からよく眺める必要があるのです。(ああスッキリした)


ひげぜんまいは鋼鉄製の古い時代のもの。ちょうどこのシーマスターが作られた頃から、合金製のニヴァロックス(ステンレスの仲間)に変更されていきました。現在では交換用のバランスはニヴァロックスです。

バランスのテン輪にはずいぶん穴が掘られています。これはリバランスのために人が手作業でひとつひとつ調整していた時代のもの。これも、その後はコンピューターとロボットが自動で行い、最適点を数カ所削る方式に変更されました。

それにしても、ずいぶん片方だけに掘り穴が偏っています。製造された時のもともとのバランスが良くありません。これでは最高性能は出ませんし、さらにバランスを取るために掘り進めれば、今度は輪の質量が減ってしまい設計値通りに動作しません。

結局、これはもう時計師側でこれ以上いじりようがなく、現状の性能を受け入れるほかありません。


ベースムーブメントの組み上げまでできました。


文字盤と剣つけに進みます。

どちらも経年の劣化を起こしています。相当期間にわたってメンテナンスを行わず放置したのでしょう。

製造時を10として廃品が0なら、数字はどんどん減っていくだけの引き算です。メンテナンスをしたからといって、決して数値が増えて元に戻ったりしません。メンテナンスは、数値が減りにくくするお手伝いをします。

そのため一般には不人気で、積極的にメンテナンスしようという機運が生まれにくいのかも知れません。しかし放っておけばどんどん劣化して寿命が短くなるだけなのです。

まるで人間と似ています。若い時から美容と健康に気をつけていれば、美しく年齢を重ねていくことができるのかも知れません。

シワとシミだらけになって、急いで若返りたいと願っても、、、それは難しいということです。(莫大なお金がかかる割に、、、)


なんだかんだで、ケーシングまで来ました。

前回のサビ取りが大変だったことをケースのサビ痕が物語っております。今回は再発もみられずケースは洗浄のみで済みました。

私もいつまで無駄口を叩いていられるのか。このご老体とよい勝負かも知れません。また次にも、そのまた次にも、メンテナンスにやって来て対応できると良いのですが。


最終特性

左上)文字盤上 振り角 253° 歩度 +011 sec/day

右上)文字盤下 振り角 275° 歩度 +006 sec/day

左下1) 3時下 振り角 229° 歩度 +009 sec/day

左下2)12時下 振り角 234° 歩度 +012 sec/day

右下3) 3時上 振り角 237° 歩度 +003 sec/day

右下4)12時上 振り角 234° 歩度 +002 sec/day

5年前の修理完了後の特性とほとんど変わりはありません。メンテナンスは無事に完了です。これでまた5年後には進みになっているのでしょうかね?なんとも分かりません。

しかし、5年後どころか1年後すら「世の中どうなってしまっているのだろう??」と、分からなくなっているご時世ではありますが。(以前はこれほど未来に対して切迫感がなかったと思います)時計とご依頼主がご無事で元気でいられたら、それがいちばん何よりだと願っております。

今回の該当コース:【 オーバーホールコース 】