19世紀スイス懐中時計の修復(並品)

Roger & Co. Geneva

スイス製スリーフィンガー・キーウィンドの懐中時計を修復した記録。


ロジェ & Co. ジュネーブ

eBayオークションで150ユーロ即決だったものを、100ユーロに値切って買ったもの。なんでそんなに大胆に値切れたか? それは、読み進めるにつれだんだん分かります。

これは裏蓋側を1枚開けたところ。鍵巻き用に穴がありますね。

"STRAIGTLINE"の彫り文字と、"15Jewels"さらにメーカー名の"Roger & Co. Geneva"

このデザインは当時のスイス製の多くの懐中時計に共通して見られるパターンのうちのひとつ。


さらに中蓋もあけたムーブメントの様子。

ちょうど3本の指を横にしたような配置であることから、「スリーフィンガー」と呼ばれることもあります。

これは香箱と2番車輪列とバランス受けの3本を表しますが、今回のタイプはさらに輪列にも小さい3本指が加わったようなスリーフィンガーの変形タイプ。


バランスを分解したところ。

ヒゲゼンマイと天真が2つありますが、左は私が新規に追加および別作したもの。右は購入時からもともとついていたが、オリジナルではないと思われるもの。

見事に?やっつけされて、ヒゲゼンマイは径も巻き数もまったくデタラメの規格違いのものを、無理矢理長さだけ適当に合わせて動くようにしたもの。こんなものはまともな性能が出ないのは見る人が見ればすぐ分かるので、オークションのディスクリプションには書かれていなくても売り主には心当たりがあったのだろう。素直にディスカウント・オファーを承諾してくれた。


天真は何本か別作して、いちばん合ったサイズを選択。

オリジナルではない天真に替えられている恐れがある場合は、寸法が参考にならないこともあり。

そうなると、オリジナルはどういう寸法だったかを類推しながら作ることになり、これはもう『修理』ではなく、れっきとした『修復』であると言えます。


こちらはヒゲ玉を作っているようす。


普段はあまり使わないアタッチメントですが、一応こういう作業もできるようにセットで用意してあります。

まあ、もっともこのやり方だとモーターからプーリーベルトを余分に必要とし、それは準備が整ってなかったので手動でドリルを回したのですが、切れない切れない。(苦笑)

結局、別のやり方を自分で考えて編み出したので、その後はもうこんな仰々しいアタッチメントも使わずに済んでおります。


バランスにヒゲゼンマイを組み込んだところ。

バランスのテンワは鋼鉄製で、まだバイメタル切りテンプが登場する前のもの。

加工精度があまりよろしくなく、ひどい片重りがあって、チラネジも一部は自作した追加の錘をつけてあります。ここは今回エライ苦労しました。


こうして元のヒゲゼンマイと比べてみると、がぜん見栄えが違います。

もちろん、性能は比べ物になりません。

これはまだヒゲ合わせ前の状態なので、渦の巻き数が少し多いままです。このあと15巻にカットして、エルボーも作りました。この時代にはみかけない仕様になってしまいましたが、ヒゲゼンマイも手持ちの中からこれでも一番近いと思われるものを何とか1つだけ見つけて繕ったものです。オリジナルと全く同じものは、もうどこにも流通する商品としては売っておりません。


地板にバランスを仮組みして、調整をします。

元の状態は、天真のホゾが曲がってしまっており、穴石もヒビがある状態でした。

ゼンマイを巻けば動くことは動いたのですが、とても振っているという状態からは程遠く、日差何時間だったかも覚えていないほど狂っておりました。


仮組みの状態で、軽く地板を振ってやると、バランスが回ります。

かなり上手くいったとみえて、とても滑らかにキビキビと回っています。

合わせるヒゲゼンマイが固過ぎても柔らか過ぎてもこうなりません。バランスの重量に対して最適なバネ定数を持ったものでないと、まったく期待した性能は出ないです。これは時計理論に精通した時計師なら、自分で計算して最適なヒゲゼンマイの厚みや径といったものを求めることができます。まあ、私の場合はピンセットでヒゲをつかんで伸ばしたりして得られた感触で選びましたが。慣れてくるとそういう芸当も可能です。


地板に輪列を仮組みしていくところ。

表面のメッキは剥がれたり変色したりして年月を感じさせるものの、幸い歯車の歯やホゾは比較的ダメージが少なく、そのまま使える状態でした。

ガンギ車の穴石だけが割れてしまっており、どうもアガキ量が何らかの理由でマイナスになってしまったものを無理に組んでしまった様子。


この時代の石の交換は、いつもリスト・ウォッチで愛用しているホリアのジュエリング・ツールではなく、『Seitz(サイツ)』の出番。

これは、懐中時計時代の穴石などをセットするために最適なツールです。

ホリアは圧入された石を動かしたりできますが、懐中時計のように石留めされてしまったものには向きません。そこでサイツで石留めをし直します。


石留めしているところ。

あらかじめパンチングしたい深さをセットしておき、レバーをガチャンと押して石の周りの金属受けを変形させて石を留め込みます。

間違ったコマや深さ設定だと、パッキーン、と石を割ってしまいますので、これもある程度熟練を要します。


うまく石留めできました。

それにしても、地板の仕上げがずいぶん荒いですね。穴あけのためのコンパスやケガキ線が堂々と残っており、まるで習作か何かのよう(笑)

スイスでも並グレードのものは、昔はこんなもんだったんだなぁと。


輪列の地板はセパレートで取り外せる仕様。

こちらは文字盤側にあたるので、組んでしまえば見えない。

手作りの感じがひしひしと伝わってきて、かえって現代の私の目には新鮮に見えます。そうそう、「ここに穴を開けて〜、と」みたいな。


ムーブメントが組み上がりました。

真鍮に亜鉛か何かメッキと思われますが、もうところどころ剥げてきています。それでも、コート・ド・ジュネーブで仕上げられており、製造当時はさぞ見栄えの美しい機械であっただろう様子が偲ばれます。

裏側のケガキ線を見てしまうと、表側はちゃんと頑張ったんだねー、と褒めてあげたいほどです。嫌味でも何でもなく、オール・ハンドメイドでここまで仕上げるというのは、これは大変なことですよ。並グレードというのも便宜的に私が勝手にそう呼んでいるだけで、作っている本人たちは「これがウチの製品です」と胸を張っていたでしょうし、仕上げでも性能でも上には上がいるのは、もうこれはどの世界でも同じ話。


ムーブメントの測定。

だいぶ姿勢差がありますが、これでも手を尽くしました。これは結果です。

テンワの片重りを取る前は、姿勢によっては+999sec/dayだの、-999sec/dayになって、要するに測定限界以下(以上)です〜、と。測定機がサジ投げやがった!(笑)

あまりにテンワのバランスが悪いと、どこか1点に絞って重りをつけたり削ったりするだけではまるで効かず。あちこちやって追い込んでも、しまいにはこちらを立てればあちらが立たず的に偏りがあっちこっちとブレ動くような状態になり、もはやチラネジの位置が意味をなさなくなります。それ以上は調整の限界です。


こちらはケースを分解したようす。

カバーを開閉するためのバネが痛んでいたり、蝶番が取れてしまったり、こちらもだいぶ苦戦しました。

ロー付けでなんとか直しましたが、慣れない作業で難儀しました。


一見リュウズっぽく見えますが、開閉カバーをあけるためのプッシュボタンです。

蝶番を付け直すためのロー付けが祟ったのか、今度はこちらが寿命とみえてポロリと取れてしまいました。

だいぶ老朽化しており、こちらは再接着は断念。頭なしでそれっぽくなるよう少しボタンを加工しなおして処理。


蝶番の部分。ここも痛みが激しかったところ。

バネの先端を作り直して、なんとかボタンを押せばカバーが開くようにしました。


ケースの表側。

ボタンの部分が、オリジナルはオニオン帽子をかぶったようなボタンが可愛らしかったのですが、無くてもそれほど変でもない。


こちらは裏側。

ありそうで、この時代にはあんまりないデザイン。

変な盾みたいな模様が真ん中にバーンとついているやつがメンズ用はやたら多い。そしてギローチェ。これもお約束でギローチェがついていた跡がわずかにうっすら残っていますが、かえって無い方がスタイリッシュだと思います。いかがでしょうか?


横からみたところ。

デザインセンスの良さは、今も昔もスイス製が一歩リードしている印象です。

アメリカやイギリスのコインエッジは、なんだかいかにもっぽいですが。スイスのものはエレガントなんですよ。不思議です。


最終特性

振りは最大で200度あまり。しかし、見た目には元気いっぱいに振っているように見えるため、満足。

姿勢差もなんとか全姿勢が1分以内に入りました。オリジナルがどうだったか分からないような修復品であり、グレードもそれほど高いものでないことを合わせたら上出来。

どうにも取り切れなかった片重りは、クラウン・ダウンという実際の動作環境では起こる確率の低い姿勢へと追いやったことが奏功し、実測では日差約30秒以内を達成。ちょい技。(笑)


完成。

よく見ると、分針はオリジナルではないですが。

意匠が合っており、デザイン的にマッチしているため、これで良し♪


タネから育てたツバキが3年経ってようやく咲いた。

ウチの盆栽。

親のヤブツバキは庭で真っ赤に咲いている。子はピンクなり。オリジナル通りである必要などあろうか?


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