Waltham 3/0 size Pocket Watch

Waltham 3/0 size pocket watch

ウォルサムの3/0サイズの懐中時計の修理事例です。『すべておまかせコース』でアンティーク品を修理する場合の参考にしてください。

※『すべておまかせコース』は2023年6月をもちまして終了しました。現在はご提供しておりません。こちらは過去の参考事例となります。


前回に引き続き、工房主の手持ちシリーズ第2弾です。

16サイズの前回はコストを度外視してなりふり構わず力づくで直してしまったようなところがあり、当工房ご利用の方にはあまり具体的ではなかったことへの反省があります。では、『すべておまかせコース』で類似の時計を受付した場合はどうなのか。およそのご参考となればと思い、追加投稿をしました。

これも昔オークションで手に入れたまま眠っていたもの。1日20分くらい狂うような記憶があり、当時も憤慨したものでした。あらためて計測すると、平姿勢でもー658秒(=約10分)の遅れとなっています。

オーバーホールを申し込むお客様で、よく「平姿勢で日差5秒くらいです」と歩度について書き込まれる方を見かけます。

悪気は全くないとは承知しておりますが、時計師的にはその情報は役に立ちません。機械式時計にお詳しい方にはすでにご承知だと思いますが、ウォッチには6姿勢があり、平姿勢の1つだけならばタイムグラファーをみながら緩急針を動かすことにより、誰でも簡単に日差ゼロ付近に合わせることができます。そして、そういうものを『Keeping Time』(正確だ)などと称して売り抜ける場所がオークションであったりします。

そのような時計を入手してサービスご依頼される場合は、「1日着用したところ、日差○○秒でした」と言っていただけるほうが、情報としてははるかに有用です。何姿勢で、、、と言うのなら全6姿勢でどうだったのかも教えてください。

「平姿勢で○○秒でした」というお申し出だけでは、他の姿勢でどうなのかわかりません。ましてや腕に巻いて動作させると、まったく異なる日差になることがあります。そういう方は、その時計を平姿勢だけでしか使わないんでしょうか??

意地悪な言い方かも知れませんが、時計師からするとそういう意味だと受け取らざる得ないです。

いや、これは悪い冗談でした。機械式時計がお好きなのでしょうが、少し知識が足りないのでしょう。いずれにせよ、あんまり良く思われないことは確かです。


これを消費者の立場で言い換えるなら、『くれぐれも1姿勢(平姿勢)だけの結果をアピールした情報にはだまされるな!』(ご用心)というところでしょうか。

「平姿勢が良ければ、その他の姿勢も良いはずだ」という推論は、成り立つ場合と成り立たない場合があります。ほとんど姿勢差がなく、平姿勢で放置した時と実際に腕に巻いた時とで結果に差がないほど優秀な機械式時計もあります。そのような時計を最初に使ってしまうと、機械式時計とはみんなそうなのかと勘違いされてしまう方も多い。そして、それにつけ込んでわざと平姿勢の情報だけしか出さない販売者が目立ちます。私からすれば詐欺師と言ってもいいです。(同様にタイムグラファーで平姿勢の結果だけを見ても、他の姿勢も見なければ意味がありません。世の中いかにウソが多いことか。)

「1日使って○○秒だった」というのは、厳然とした事実を言っているので、ごまかしや解釈が入る余地はありません。平姿勢だけの結果を述べた場合と、全く性質が違うことにお気づきだと思います。ぜひ、実際にお使いになって日差が何秒であったのか(できれば数日間使って再現性があるかどうか)、日によって異なる場合は利用シーンに思い当たる違いはないかどうか、などなど詳しくお聞かせ願いたいものです。

まあ、この話はもうこの辺にして。さっそく『すべておまかせコース』にうつりましょう。


おなじグレードの機械のみを取り寄せました。よく見比べますと、わずかに径が違います。このように、同グレードでもサイズが違ったりもします。使用目的によってはシビアに選ぶ必要があります。売り手はそこまで正確な情報で売っていません。海外オークションなどですと質問しても「わからない」とか、ひどい場合は無視されます。運悪くそんなイヤな売り手からしか入手できなかったりします。一般の方には判断が難しいと思います。今回は一部パーツのみが狙いなのでこれでよし。


両方同時に分解していきます。リストウォッチ同様。いつものパターンです。

激動の時代に作られたものであるため、細かい部分の仕様などが同じグレードのモデルでも微妙に違います。径の違いは収めるケースのサイズが違うことを意味しております。

内部パーツも、例えば振り座というバランスの一部を構成するパーツがあるのですが、手持品はシングルローラーという一枚板で、取り寄せ品はバージョンが進んだ時代に作られたと見えてダブルローラー(二枚板)でした。ここが違うと、アンクルの形状も違います。バランスとアンクルは相互に入れ子にできず、それぞれのモデルでしか使えないことを意味します。


今回目的のパーツのひとつ。こんなどこにでもありそうなバネではありますが、やっつけ仕事は慎みたいです。すべておまかせは無駄使いに思われる向きもあるかも知れません。1個の時計のために2個分も機械を使って片方は眠らせておくなんて。


しかし、複数の機械のパーツを見比べて発見することも多いです。このバネですが、微妙に形状が違います。オリジナルに近い状態を知る術は、直したい機械とは別の個体をみれば一目瞭然です。それを感覚でなんとなくやってしまうと、誤作動や故障の原因になることもあります。もちろん別個体が用意できなければ、おそらく〜だろう、という判断で対応せざる得ないこともあります。修復師などはそういう高度な判断ができる専門家です。しかし、見よう見まねで一介の時計師がやっても、下手をすればそれは『やっつけ』になってしまう。

オリジナルの状態を知っていて、それに近づけるよう自分で曲げれば『修理』です。知らずにたまたま上手く直せたからといって、それは確信的なものではない。それは『やっつけ』。いちいちコウルサイ野郎だ、と思われるかも知れません。

私にとって、これは授業料と同じです。それだけオリジナルの状態を把握することは、たとえそれが小さなバネ1個であっても価値があり、意味があると考えます。


香箱のゼンマイを見比べてみる。左が手持ち品。右が取り寄せのもの。

手持ちのものは、ホワイトアロイに交換してありますが、端の部分が何やらいびつであり、『やっつけ』したような感じです。しかも、ここを交換したということは、少なくとも過去に直そうという目的で手入れされたはずなのですが、、、、現状はちっとも直っておりません。修理のやり方が中途半端だったのでしょうか。

後にここは今回の重要なポイントになりました。最終的に左のホワイトアロイでは力が強すぎて、バランスが振り当たりを起こしてしまう。右のオリジナル鋼鉄製では、力が弱すぎて振りが出ない。

結局は、手持ちのゼンマイのストックから新たな別のホワイトアロイ製のゼンマイを選んで入れ替えたのですが、2台も機械を集めて、結局それでも足りなくて追加パーツが必要なことだってあります。


こちらはバランスを拡大したようす。上は修正前。

なんと、こともあろうか、天真の頭が左側に頭を垂れてコンニチワ〜。

下は私が渾身の集中力でもって、修正したもの。

耐震装置のない時代の時計では、めずらしくありません。

これでも動くだけなら動きますからね?(まあ、それで日差20分も遅れるわけだ)


ピボット・スケールという穴石をはめた行列台を使って、、。これは本来このように天真や歯車など軸の太さを計測するものですが。


私の場合は、ピンセットでつかんで、このようにダイレクトに『手加減』のみでホゾをまっすぐに!

曲がったほうのホゾを穴に差し込んで、曲がりと逆方向へ『ぐにゃ〜』と倒します。

クリティカルに正反対の方向に適正な角度まで曲げ直してやれば、まっすぐ元に戻るはずという、そういう理屈です。


「あ。」

そう思った次の瞬間、ホゾの頭がちょんぎれます。

いや〜。時計師によってホゾ直しはいろいろ言う。「確率30%」(で成功、という人もいれば失敗という人も)

私の感覚では五分五分ですかね。今回は2つのバランスともホゾが曲がっていましたので、思い切って両方ともチャレンジ。

結果1勝1敗。5分の星。笑


まっすぐぶりを確認すべく、トゥルーイング・キャリパスで。


ぶん回してみる。

ウンウン!回った!

ブレもなく?

ないよ?ないよね?

これならきっとだいじょうぶ〜♪


受けに組んで、おひげいじり。中心も水平もきっとバッチリさ♪


懸念事項になんとかメドが立ち、残ったパーツ群もケース共々キレイに洗浄して1日目は終了。


2日目。輪列を組んでいきます。

『すべておまかせコース』は、このように複数のムーブメントを用意する必要がある事例があります。それに加えて、1日では作業が終わらないものも多い。16Sのウォルサムの修理記事でもそうでしたが、3日仕事以上になることもあります。


輪列受けと脱進器まで組めたところ。

洗って組み直すだけの通常の『オーバーホールコース』とは違って、こんな仕事はとてもお決まりコースで特上・上・並には分けられません。それで寿司屋にも『おまかせ』というオーダーがあるんです。ネタそれぞれに旬があるように、時計に合わせたパーツと入手先があって、それらは『時価』というわけです。


アンクルとガンギの噛み合いをチェックしつつ注油します。ガンギ車が真鍮製!

真鍮のガンギなんか、すぐすり減ってしまうだろうと思うかも知れませんが、実際にはビクとも減っておりません。どこにも変形も磨耗も見られず、ちゃんとパーツとして現役です。

設計上は真鍮の強度でも十分なのだと分かります。正しくメンテナンスすれば問題ないですが、雑な取り扱いだと簡単に変形するリスクがあります。後の年代には鋼鉄製に取って変わられました。


さて出来たぞ。測定〜♪

あれ?

どこか機械が間違った?

直ってないよ?? ウソだろう〜〜〜っ!!!

これで、2日目も終了。(時計の世界はかくも厳しく)


こうなりゃ天真を換えるしかない。他に思い当たるところは全部しらべた。あれだけ完璧と思われた、ホゾの修正作業も、全然ダメだったということです。

人間の目で見て違いがわからないほど、正確でなければならないのです。

自惚れるなよ。時計師の腕などは人間のもの。原子ひとつぶ単位まで狂わず正確に元どおり真っ直ぐにできたら、『神の手』と認めてやろう。

しょせん、オマエは人間だ!!!

ふん。私にはパーツ交換という知恵がある。マーシャル・ストックのウォルサム用で『U grade』なる天真をみっけた。ウルトラ? U〜♪

(これが到着する2週間の間おやすみ)


キタキタ。このマーシャルのやつを使うのは今回が初めてです。現行のCNC旋盤で作られたジェネリック版とは違い、当時の厳密な要求に沿っているもの。古いもの。アウトソースかどうかまでは分かりませんが、オリジナル製のものと比べてもまったく遜色がないです。オリジナル・ファクトリーと称しても問題ないレベル。ゼンマイといい、天真といい、追加費用がかかります。手間もかかります。

さすがに当時のファクトリー製だけあって、寸分違わず全てが完璧です。

こうして現物を見比べてもほとんど違いは分からないです。わずかにホゾの真っ直ぐ感というのか、私が修正したほうはアヤシゲな光の反射が散っています。新品はいささかも光が散らず、完全に真っ直ぐであることが見て取れます。並べて比べて初めてやっと差がわかる程度の違いで、単品で見てもどこがどう悪いのか分かりません。それが人間の目と判断力の限界でしょう。


ふたたび、分解とバランス組み、おひげいじり。

今回も、天真交換前と同様、できる限りの集中力で、私の目が「これでよし」と思うまで、水平も中心もすっかり整えました。

何回ダメでも、何度でもやります。何度でも最高の仕事を心がける。


再び、ベースムーブメントの組み立て。

おお。元気よく回っているな。

(もう祈るような気持ち)


最終特性

左上)文字盤上 振り角 280° 歩度 +006 sec/day

右上)文字盤下 振り角 287° 歩度 +007 sec/day

左下1) 3時下 振り角 224° 歩度 +007 sec/day

左下2)12時下 振り角 230° 歩度 -001 sec/day

右下3) 3時上 振り角 223° 歩度 +014 sec/day

右下4)12時上 振り角 228° 歩度 +008 sec/day

ソレッ。どうだぁ〜! 見たかっ!!


文字盤と剣つけに進む頃には、3日目のおやつタイムも過ぎた頃。

今日は70%カカオの板チョコかじりながら、ロバート・マッコーネル・ピュア・キューバ(葉巻用の葉を刻んだパイプたばこ)をくゆらせて。これを熱々のスタバ・ハウスブレンドをすすりつつ。


ケーシング。やれやれだ。

もう、ほとほと疲れて何も思い浮かびません。笑

とにかく、古い昔の時計を修理するということは、時間も手間もお金もかかる大変なものです。


3/0サイズというのは、ゼロサイズというのがあって、その下です。さらに6/0というのもありまして、まとめてレディース・サイズの中核をなす大きさです。

これも、可愛らしいケースですが、実際のところムーブメントのサイズは30mmほどあり、これは現行リスト・ウォッチでは平均的なメンズの大きさと同じです。いかに懐中時計全体がデカイものであるか分かると思います。

そのため、今回もやっていていつものメンズ用腕時計をいじっている錯覚に陥ることがありました。リストウォッチではバランスの天真でこういう苦労はないです。中途半端に曲がる、ということはなく、一定の衝撃までは耐震装置がぜんぶ吸ってくれます。それでも吸収できないような衝撃のときには、、、だいたいケースごとひん曲がってゴミ箱行きでしょう。


完成。

「文字盤上にして置いておくと1日5秒進むけど、身につけて使うとなぜか1日20分も狂うんだ」

そんな時計との出会いにお心当たりのある方。

ぜひ当工房へ!

今回の該当コース:【 すべておまかせコース 】

参考料金:100,000円〜


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